人間は死ぬまで迷うとー(199) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「まあ、姉さんは、元気で何よりだ」菊婆さんは、満足げに何度も頷いていた。
杏子は、それに笑顔で答えた。
「妹は、元気か」
菊婆さんは、いまだに倫子が強引に吉次を公証人役場へ連れて行き遺言書を書かせたことを忘れることが出来なかった。
「長浜の脳外科へ入院しています」
「どうした。中ったか」
「酔っぱらって、階段から落ち頭を打ったそうだ」
庄助が言った。
「酔ってか」
杏子が頷いた。
「それはご愁傷様なこった」
菊婆さんが笑った。「吉爺のばちが当たったんだ」
菊婆さんが、ざまみろと言いたげな顔をした。
「それで、大丈夫なの」紗枝さんが訊いた。
「意識が戻らないそうです」
「心配ね」
「いずれは、こうなるだろうと思ったよ」
倫子の話しは、それで終わった。
世間話が始まった。時々菊婆さんが「なあ、庄助」と声を掛ける。庄助は、ただ笑って相槌を打っていた。
庄助は、何も言わずに窓から見える日本海を眺めていた。9月の日没時間は5時半ごろだ。太陽が西に沈み始めていた。庄助は、吉次の事を思い出していた。杏子の顔は、吉次に生き写しである。
生きとし生けるものには、必ずや死が訪れる。晩年、健康であればよいが、大病を患っているか認知症ならばただ病院でじっとお迎えが來るのを待っているか、それとも家に閉じ籠っているかのどちらかである。こんな惨めな死に方はしたくない。
しかし、人間はみな体が動かなくなると他人の手を借りなければ生きて行けない。情けないことだとつくづく思う。その点、吉次は、程よい年齢であの世に旅立った。長生きすることは幸せなのかそれとも不幸なのか。
庄助は、いつも平均寿命までは生きられたらと思っていた。それ以上、長生きすると家族と一緒にいても何となく肩身が狭い。庄助は、既にその年齢を過ぎた。今では、出来るだけ家族にも他人様にも迷惑が掛からないようにと思いながら生活している。しかし、思うだけで実情は、色々と嫁や孫の世話になっている。長く生きると家族に負担が掛かる。今は何とか杖を突いて歩けるが、菊婆さんと同じように一歩も外へ出られなくなったらと思うと胸が苦しくなる。今までは、俺も吉爺と同じぐらいで死ねたらと思っていたが、吉爺よりも長生きしている。なかなか都合よく死が訪れない。寿命だと分かってはいるが何かどうも腑に落ちない。死にたい時に死ねるならと思うがその時になったら果たして三途の川を渡る勇気があるかどうか思い惑う。人間は、死ぬまで迷うと聴いたことがある。そうそう簡単に命を絶つことなぞ出来る筈がない。自ら命を絶ったとしたらそれこそ罰当たりである。
いつも思い出すのが若い時に見た映画である。何故か今でも忘れられない。確か環境汚染か戦争かはっきりしないが地球上から自然が完全に消えて無くなる。当然食料が無くなる。残った若者や子孫のために年老いた者が自分の身体を食糧に変えるために犠牲になる。一人の老人がストレッチャーのような台に上がりMRIのようなドーム型の中に入る。映写機が回り左右の壁に昔懐かしい自然の風景が映し出される。青空の下に花畑や麦畑が映し出される。それを見ながらその老人は死んでゆく。老人の体は、グリーン色の小さな錠剤となって別な出口から吐き出され生き残っている者の食糧になる。若い頃のことだ。特に意識していなかったが、この歳になってふと思い出しそれが脳裏から離れない。しかし、果たして自分もこのような立場になったら、この老人のように死を甘受できるだろうかと思った。「早く死にたい」とか「早く父さんの所へ行きたい」などと自分と同じような年齢の人からこの言葉を聴くことがあるが本当だろうかと思う時がある。寝たきりになった人や癌などの不治の病に掛かり激痛で日ごと体が衰弱している人の言葉ならいざ知らず、元気に歩ける人の口から出ることがある。弱気がそうさせるのか。複雑な家庭の事情によるものかそれとも単なる我儘なのか分からない。
庄助は、杏子を含め3人を見ていてそう思った。
西の空に太陽が傾き始めた。空が茜色に染まり始めた。
「素晴らし眺めよ」紗枝さんが言った。皆が窓から見える夕日を見ていた。徐々に太陽が沈んでゆく。
真っ赤なほおづきのような太陽が西の地平線の彼方にゆっくりと沈んで行くのを4人は眺めていた。
「素晴らしいわね」紗枝さんは、夕映えの雲を見ながら言った。
「菊婆は、良いところに住んでるよ」
庄助は夕日を顔に受けながら言った。
「吉爺だ」菊婆さんがニコニコしながら呟くように言った。
沈みゆく太陽はまるで、熟した真っ赤なほおずきの実ように見えた。
菊婆さんは、杏子に会えたのが嬉しかったのか何度も杏子の顔を見ていた。

帰りのバスの中で杏子は、外の景色を眺めながら思った。
3人には二度と会うこともないであろう。しかし、今日は本当に良かったと思った。父の話しも聴けた。何よりも3人が集まっているその場の雰囲気は、父が生きているときもこのような感じであったのだろうと思うとそれだけで満足であった。父の事を思い倫子の事を思い出していた。
姉妹ってなんだろう、血の繋がりって何だろうと。

園子が和夫に電話をしていた。
「三日間幾ら電話をしても電話に出ないの。何かあったの」
園子が電話の向こうで心配しているのが分かる。
「ああ、母さんか、病院に入院しているよ」
「どうしたのさ」
「心配ないぞ。検査入院だ」
「検査なら直ぐに帰れるじゃないの」
「大丈夫だから心配するな」
「何の検査なの」
「大腸だってよ。何も心配するな。見舞いに来なくても良いぞ」
「検査結果を知らせてね」
和夫は電話を切ったあとニヤリと笑った。



●終わります。
長いことお付き合い頂きありがとうございました。次回掲載は、平成27年1月より掲載します。
次回もよろしくお願いします。







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