溝鼠ー231相続する権利 [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

「お父さんは、後期高齢者だし、それに介護保険にも入っているし、そんなに掛からないと思うよ」
光子が、首をぐるりと回し少し前屈みになりながら
「ところでさ、お父さん、幾らぐらい持ってるんだろうね」
光子の上体が目の前に迫ってきた。道子が自分の体を少し後ろに引いた。
光子の口角がほんの少し上がり目も笑っているようだ。
「幾らぐらいって・・・」
「これ・・・」
光子が右の手で人差し指と親指で丸を描いた。
「お金・・・」
道子が小首をかしげた。
「結構、持ってるじゃない。婆ちゃんが持っていたのは、今の家と土地にさ、それに処分した一野区菊町の土地と家屋でしょ、それらを合わせると、相当な額になるんじゃない」
「私は、そんなこと訊いたこともないし、分からないよ」
「お父さんのことだから、婆ちゃんが老健に入る前に全部自分の物にしたんじゃないの」
「知らない」
「お父さんが、死んだらお母さんに二分の一、残った分を椰季子と佳代子、それに私とあんたの四人で分けることになるんでしょ」
「お父さん、未だ生きてるしょ。それに、お母さんだって元気でしょ」
「それに、もしもだよ、諏訪先生が、お父さんの息子なら、相続する権利があるんじゃない」
「そんなこと、姉さんは考えていたの」
道子が、目を丸くしている。
「ふと思っただけ。よくテレビでさ、サスペンスドラマなどで財産争いで、人を殺すなってのやってるでしょ。観たことない」
光子が、道子の顔を下から覗き込むようにしていった。
それから、ぱっと立ち上がると
「さあ、お父さんの顔を見に行こう」
そういうとさっさと部屋を出て行った。道子も慌てて光子の後を追った。

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溝鼠ー230寝たきりだね [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

外は、依然として土砂降りの雨が続いている。
「今日は、もう、回診の時間が終わったから、諏訪先生に会えないよ」
そう道子がいうと
「いいよ。会えなくたって」
光子が、そっけない態度でいった。
「どうして・・・、一度会ってごらん。兎に角、背格好や仕草がお父さんにそっくりなんだから」
「この世には、自分に似た人が3人いるっていうでしょ。だから、お父さんに似た人がいても何も可笑しくないでしょ。」
「そういつたらお仕舞いでしょ」
「私は、明日、帰るから」
「どうして」
「幸恵の子供をお父さんに預けて出てきたんだけど、風邪を引いていてね。それで心配なの」
「幸ちゃんも大変だね。子供がいるから・・・」
幸ちゃんとは、光子の長女幸恵のことである。今年25歳になる。22歳で結婚したが、結婚した相手が、酒癖が悪く3年で離縁した。3歳になる和恵という女の子が一人いる。
「子供の面倒を看てやらなきゃ、幸恵が可哀想でね」
「再婚しないの・・・」
「今は、考えていないらしいよ」
「本当に帰るの・・・」
「もう一度、お父さんの顔を見てから帰るよ。何かとあんたに世話を掛けるかもしれないけど頼むね」
「それはいいけど、来てすぐに帰るんだもの・・」
「明日帰るよ。列車の指定席も取ってあるしさ」
「そうなの。残念だね」
雨や風が止む気配がない。街路樹のナナカマドの枝が、風に煽られて今にも折れそうだ。
「お父さん、良くなるといいんだけどね」
道子が、心配そうな顔でいった。
「この病気は、本人のやる気でしょ」
「・・・」
「リハビリ、続けられるかどうかで決まるんでしょ」
部屋の中は、何となく仄暗く、窓に打ち付ける雨の音と、それに部屋を閉め切っているせいか蒸し暑く、息苦しく感じられた。
光子がバックからハンカチを取り出し首から胸にかけて吹き出た汗を拭い取っている。
「出来るだろうか・・・」
道子が訊いた。
「あくまでも、本人次第だよ。やらなきゃ・・・」
光子が拭き終わったハンカチを四つ折りに畳みながらいった。
「やらなきゃ、寝たきりだね」
道子がいった。
二人が顔を見合わせた。
「そうなったら、お母さん大変だよ」
道子が心配そうにいった。

二人の間に少しの間沈黙があった後光子がいった。
「ここの病院代幾ら掛かるの」

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溝鼠ー229失敗したと [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

道子が光子の袖を引いた。
「談話室へ行こう」
道子が小さな声でいってから意味ありげに含み笑いをした。
それを横で見ていた勝子が光子にいった。
「少し休んでおいで。あんたは、今朝、夜行列車で着いたばかりなんだから」
光子は、うっかり朱美と口に出してしまい心の中で後悔していた。
「そうだね。そうしようか。お父さん、少し休んでくるから」
そう道男にいって、二人は、部屋を出て先ほどの談話室へ行った。
相変わらず激しく降る雨が、風に乗り窓にあたり大きな音を立てている。
「止まないね。この雨。姉さん釧路から持ってきたんじゃないの」
道子が光子の方をみていった。
「そうかもしれない。釧路も降ってたから」
光子が窓から見える大降りの雨を見ながらいった。
二人は、丸いテーブルを囲んで座った」
「あんた、さっき含み笑いをしてたでしょ」
光子が、訊いた。
「だって、可笑しいだもん。朱美さんといった後に、突然、私が渉といって話を変えたでしょ。それでも、何となく話が繋がったから」
「ああ、私もあの時、失敗したと思ったの。朱美さんって、お父さん、聴こえた筈だよね」
「聴こえたと思う。姉さんの声は、大きいから」
「まあいいわ、本人は、話せないんだから」
道子が、上目でちらりと光子の顔を見た。
「もう、この話は、終わり」
光子が、後悔しているのが分かる。

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溝鼠-228目配せをしながら [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

道男の後を追うようにして3人は病室に入った。
部屋に入ると、白い上下のユニホームを着た30前と思われる男性が、道男を抱えてベッドに寝かせようとしていた。胸の名札には、理学療法士と書いてある。
3人は、ベッドを取り囲むようにして立っていた。
道子が理学療法士が出て行った後に道男に声を掛けた。
「お父さん・・・」
道子には、いつもと何ら変わりのない道男に見えたが、目が、死んだサカナのように見えた。
「元気じゃない・・・」
光子がいった。
「「お父さん。分かる。光子、ご無沙汰してたね」
道男が光子の顔をじっと見ている。
「分からないのだろうか・・・」
光子が道男に顔を近づけた。
「お父さん、光子だよ。分かるよね」
勝子が声を掛けた。
道男が小さく頷いた。
「なんだ、分かるんでしょ」
光子が頓狂な声を上げた。
「そりゃ、分かるよ。馬鹿じゃないんだから」
勝子が道男の頭を撫でながらいった」
道子がクスッと笑った。
光子が、道男の体に掛かっている掛布を直した。
「お父さん、リハビリーどう。続けていけるかい」
光子が訊いた。
「続けないと話せないしょ。ねえ~」
勝子が、そういって道男の顔を見てほほ笑んだ。
道男は、黙っている。
「お父さん、朱美さんに男の子がいたよね」
光子が突然いった。
道子が慌てて
「お姉ちゃんの子供で渉っていたでしょ。その渉がね。社会人になったんだって」
光子がきょとんとした顔をしている。
勝子が光子に目配をしながら道男にいった。
「そうなの。渉が鉄工所に入ったんだって」
「工業大を卒業して地元の草木鉄工所へ入ったの」
光子が、微笑みながら道男にいった。
渉は、30歳になり草木鉄工所の課長に昇進している。
道男が黙って二人の話を聞いている。理解しているのかどうか分からない。
じっと天井を見上げている。

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