溝鼠-211両手で確りと [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

定男がいつもの様に家を出てバスに乗り地下鉄に乗り換え更にバスに乗りモトの入院先へ行った。
毎日のように雪が深々と降っている。今年は、例年になく雪が多い。雪が降るとバスがノロノロ運転だ。病院が遠くなる。それでも、病み上がりの体に鞭を打ちながらモトの病院へ通う。
モトの容態は、あまり変わらなかった。それでも、日が経つに連れ、定男が話をすると頷くようになった。
ある日、モトのベットの傍に座って顔を見ていると、突然定男に向かっていった。
「私、金がないの。金がないの」と絶え入るような声でいった。
定男は、布団の下に隠れているモトの左手を両手で確りと握り占めた。
「大丈夫だ、俺がいるから大丈夫だから、心配するな」
モトが大きく「うん、うん」と頷いた。
暫くして、安心したのか、小さく寝息を立て始めた。
定男は、回復の見込みはないと分かっている。それで、少しでもモトの気持ちが安らぐようにとモトの好きな歌手のCDやDVDを持参し枕元で聞かせている。
その時、モトは、自分の好きな歌手の声だと知って聴き耳を欹てて聴いている。
恐らく、モトは、遠い昔のことに思いを馳せながら聴いているのだろうと思った。

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溝鼠ー210仏壇に線香の一本でも [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

列車の振動が心地よかった。どのぐらい走っただろうか、いつの間にか眠ってしまった。車内が蒸し暑い。久仁子が、車窓から見える景色を眺めながら着ているパープル色したカーデガンのボタンを外した。母の顔が目に浮かんだ。あれでよかったのだろうか。
車窓からは、真っ白な大地が見える。その景色をぼんやりと眺めながら考えていた。
到着駅、鶴見町は、釧路からさらに列車で一時間ほど掛かる。林業の町で雪深い町だ。帰ると長男夫婦が待っている。
定男と杏子が一緒に駅まで来て見送ってくれた。
母に会えたが、何かしっくりしない。あれでよかったのだろうか。
もっと母が確りしているうちに、会っていろいろと話をしたかった。
母は、自分の名前を呼んでくれた。
弱弱しい声で「久仁子…久仁子」と二度自分の名前を呼んでくれた。嬉しかった。
二度目に行ったときには、眠っていて声を掛けられなかった。
母とは、それっきりだ。
それで許してもらえたのだろうか。もっと、大きな声で叱って欲しかった。
悔やんでも仕方がない。会うのが遅かったのだ。
そのことが、久仁子の心の中に蟠りとして残っている。

定男の家には3日ほど世話になった。
実家に寄って仏壇に線香の一本でもと思ったが、道男が許してくれなかった。
定男のところで2泊させて貰った。
特に急いで帰えらなければならないこともなかったが、日数が増えるにつれ厭な思いが増える。定男には、悪いが、あとのことは、お願がして早々に帰ろことにした。

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溝鼠ー209大人なら [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

「東京・・・」
「そう、渉を連れて帰ってきたの」
「連れて帰って来たって、子供じゃあるまいし」
「帰らないっていうもんだから強引に連れ帰ってきたの」
「お父さんによろしくいっておいて。それじゃね。また電話するから」
電話が切れた。
どうしよう。佳代子の手紙の件を持ち出せないでいるのに、今度は、椰季子だ。
勝子が、電話台の前えでポロシャツの上から佳代子の手紙を両手で確りと握りしめ、棒立ちになっている。
道男が寝室から出てきてソフアーに腰を下ろした。
「電話か・・・」
「そう、椰季子から」
反射的に口から出た。しまったと思ったが既にもう遅い。
「椰季子、昨晩帰ってこなかったのか」
「0時まで待ったんだけど帰ってこなかったの」
「今、何処にいるんだ」
「東京だって・・・」
「東京・・・」
「そう」
「東京って、本州のか」
「そう」
道男が、ぎょろりと目を剥いた。眉間に皺をよせ口を尖らせ勝子を睨みつけた。背もたれから背を離し今にもソフアーから立ち上がらんばかりである。
「一体全体、この家の子供たちはどうなってんだ」
「・・・」
「佳代子は、欧州へ行ったまま未だに帰ってこない。何も連絡がないのか」
勝子は、右手を胸に当てポロシャツの中の手紙を確りと抑えた。
「佳代子といい、椰季子といい勝手なことばかりしやがって」
「もう大人なんだから」
勝子は、そういうのが精一杯だった。
「大人なら、何でもやっていいのか」
道男の様子が普通ではない。
「そこまでは・・・」
勝子は、じっと堪えた。佳代子と椰季子の顔が目に浮かんだ。

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溝鼠ー208今、この手紙をだしら [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

居間に入った道男が、ソフアーに腰を下ろし横になった。天井を見上げている。
勝子が、そっと近づきローテーブルの上に100万円を置いた。
それをチラリと見て不思議そうに首を傾げた。
「こんなもんかな、婆さんの残した財産は。俺の計算じゃ、1千万は、ある筈なのに」
勝子が、キッチンテーブルの前に立って、道男の様子を窺っている。
「一千万円、見たことあるのかい」
道男が首を小さく横に振った。
「単なる推測でしょ」
道男は、黙っている。
「いくら探したって、それしか出てこないんだもの。しょうがないっしょ」
「そうかな・・・」
道男が、まだ、あきらめ切れないのかソフアーに横になったまま人差し指を宙に向けモトの部屋の中を思い描きながら点検が終わった箇所を一つ一つ頭の中で確認している。
勝子が臍の辺りからポロチャツの中に手を突っ込み佳代子の手紙を出そうかどうしようか迷っている。
この手紙を今出したらどうなるだろうか。恐らく怒り心頭に発し何をしでかすかわからない。
ポロシャツの中で確りと握っていた手紙を胸のあたりまで押し込んだ。
道男が、サイドボードの扉を開け中から三分の一程度残っているウイスキーの瓶を取り出してローテーブルの上に置いた。ぃ
「椰季子、どこへ出かけたんだ」
「友だちのところじゃない」
「今晩、帰ってくるのか」
「帰って来るんじゃない。何も言ってなかっから」
その夜、道男は、酒を飲んで早めに眠ってしまった。
勝子は、午前0時までテレビを見ながら椰季子の帰りを待ったが帰ってこなかった。
翌朝、8時を回ったころ電話があった。
椰季子からだった。
「お母さん、ごめん、今、東京にいるの」

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