現代小説ー灯篭花ほおずき) ブログトップ
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溝鼠ー222端から話にならないと [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

勝子が困り顔をでいる。
「佳代子の気持ちも考えずに、自分で勝手に決めといて、そうならなかったからって、頭にきたなんって、そんなのナンセンスでしょ。そう思わない」
そういって光子が、鼻で笑った。
「はっきりと、佳代子に、お前にこの家を継いで欲しいといったの」
道子も、少し苛立ちながら勝子に訊いた
「特に何も・・・」
「それじゃ何もいうことないしょ。逆に佳代子が可哀想でしょ」
光子も口を尖らせながら勝子にいった。
「お父さんは、正式に、佳代子に、この家の後を継ぐのはお前だといっていないのね」
道子が念を押した。
「詳しいことは分かんないよ。なんか、そこらへんが有耶無耶なんだよね」
「お父さんが、はっきりといわなから、こういうことなんるだよ。佳代子は、何も悪くない。そうでしょ。お母さん」
光子がいった。
「うん、そう思うだけどね。ただ、二人だけで何か話し合ったのかもしれないしょ・・・」
「それは、確証がないんでしょ・・・」
「ないけどさ、いつも、ここで佳代子が居る時に、お父さんは酒を飲みながら佳代子にお前がこの家を継ぐんだといっていたから・・・」
「いつも、酔っぱらっていってたんでしょ」
道子がいった。
「そんな話は、無効でしょ」
光子は、端から話にならないといった様子だ。
「お父さん、その時、本気だったと思うよ。酒だってそんなに飲んでいなかったし」
道男を庇うかの様にいった。
「その時、佳代子、何んっていたのさ」
光子が勝子に尻を向けて持ってきたトートバックの中から菓子折りらしきものを取り出した。
「わかりましたって」
「そういったの・・・」
光子が菓子折りらしきもの持ったまま勝子の顔をじっと見詰めている。
「佳代子、スナックに勤めていたんでしょ。日頃、酔ったお客さんの扱い方に慣れているから、それと同じように適当に返事をしたじゃないの。それを本気にしちゃってさ」
道子がいった。
「馬鹿みたい」
光子が笑いながら聴いてられないといった顔をして菓子折りらしきものをテーブルの上に置きながら
「すべて、お父さんの得手勝手なんだわ」
と光子がいった。

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溝鼠ー121部屋を飛び出し [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「父さんのへそくり。これが」
佳代子が畳の上に転がっているゴミ袋を拾い、顔の前へ持ってきて繁々とみている。
「そうだよ。どうして」
勝子が一斗缶を拾い部屋の隅に置いた。
「それにしてもさ、婆ちゃん、なんであんな大きな声を出していたの」
「認知症が進んでいるからさ」
「そうなの・・・」
佳代子が驚いた顔をした。
「そうなの、婆ちゃん、最近、何でもかんでもそれ私の物、私の物と言い張るから、面倒だから、あんたの部屋に投げ入れたの。悪かったね」
佳代子が、納得がいかないのか勝子の顔をじっと見ていた。
「兎に角、婆ちゃんが上がってきたら私は下へ下りるから、これは、あんたが出掛けたら取りに来るからね。いいね」
「私が出掛ける時に持っていこうか」
そう聞いて勝子が慌てた。
「いや、いいの。婆ちゃんに見っかったら大変なことになるから。もう少し時間が経ってからにするわ」
「母さん、もしかしたら、これ婆ちゃんの部屋から持ち出したんでしょ」
勝子が押し黙った。佳代子が勝子の顔をじっと見ながら
「当たりでしょ」
勝子がばれたかといった風な顔をしながら
「婆ちゃんの認知症が、相当進んでいるの。それで父さんがね、婆ちゃんの財産は、俺たちで管理してやらなきゃならんというものだから」
「そのこと、前もって婆ちゃんに話したの」
勝子の額から、一旦納まった汗が、また噴きだした。
「いうも何もないっしょ。そんなこと言ったって分かんないだから」
「最近、婆ちゃんの顔を見ないと思ったら、そんなに悪いんだ」
「あんたは、知らないだろうけど、買い物してくると、その量が半端じゃないの。あきれるほど買って来て全部食べてしまうの。そして翌日、腹が痛いと言い出すの。本当に始末が悪いんだから」
「注意したの」
「分かるなら、こんなことしないしょ」
「そうか・・・」
佳代子の口角がかすかに上がった。佳代子は、仕方がないと思った。
「一斗缶とだらせん袋を押入れの中に入れようか。もし、婆ちゃんがこの部屋を見せてといった困るから」
「ああ、そうして・・・」
勝子がドアの傍に近づき外の様子に耳を欹てている。
モトがやっと階段を上がり切った。部屋のドアノブが回りカチャと音が聞こえた。ドアを開け中へ入った。
すかさず、勝子は、部屋を飛び出し二階から下りた。
どうやって下りたか自分でも分からなかった。兎に角、早かった。
重い体を揺さぶりながら居間に入ると道男がソフアーに横になりウイスキーを舐めていた。

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溝鼠ー23楽は苦の種、苦は楽の種 [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

モトに認知症らしき症状が現れたのは、はっきりしない。医者は、症状から老人性脳血管症だといった。

ある日、モトは、買い物に出掛けるので支度をして、いつも整理箪笥の上に置いてある財布を持って出ようとしたらないことに気がついた。モトは、テーブルの下やテレビ台の上などを捜したがない。階下に下りて勝子に財布がないが知らないかと訊いた。勝子が知っているわけがない。道男は、外で庭仕事をしていたが勝子に呼ばれて3人で二階へ上がり財布を部屋中探したことがある。その時、勝子は、押入れを開けようとして襖の取っ手に手を掛けたところ、モトが眼の色を変えて「あっ、そこは開けないで」と大きな声でいった。勝子は、慌てて手を引っ込めた。恐らくモトの大切なものが入っているのだろう。死んだ夫の形見とか手紙や写真など他人には知られたくない若い頃の思い出の品などが仕舞ってあるのだろうと思った。そのほかに勝子があちこち探したところ箪笥の小引出しの中に封筒と正絹ちりめんの袱紗との間に財布が挟まって入っていたことがあった。
道男は、モトが今まで財布が無いといって騒いだことがなかったことに気付いた。道男も勝子も認知症については、新聞や雑誌などで多少は知っていた。
道男と勝子が酒を飲みながら話しをしていた。
「婆さん、もうろくたかったんじゃねえか」
「もうろくったって・・・買い物にも行っているしさ、病院も銀行もちゃんと一人で行ってるしょ。」
「今幾つだ。85か」
勝子がいつものように指を折りながら
「87だわ。今年の誕生日が来てね」
「もうろくたかるのも仕方がねえか」
道男は、長く伸びたスルメの腕を一本歯で毟りその腕を口に銜え噛んでいる。噛み終わるとビールを飲む。それを何回か繰り返している。
「昔の年寄りだったらとっくに死んでるよね」
勝子が道男の前に座り焼酎の水割りを飲んでいる。
「親が長生きするのは、嬉しいことだが半面なんか複雑だな」
道男が意味ありげに笑った。
道男は、定男のことを思い出した。
兄貴の癖に俺に婆さんの面倒を看させ「うんともすんともいって来ない。あの馬鹿野郎が」
勝子には、言わないが心の中でそう思っていた。
「二階へ飯を運んだか」
道男は、勝子をちらりと見た。
「ああ、今日は、未だ作っていないけど食べるのかな」
勝子が煩わしそうにいった。
「食うべや・・・」
道男は、腹立たしそうにいった。
「そうじゃなくてさ、自分で作るときもあるからさ」
勝子が慌てていった。
「訊いてみれよ」
勝子が椅子から腰を上げ左の腕で唇を拭いながら階段上がり口まで行き二階に向かって大きな声でいった。
「お母さん、今日の晩御飯自分で作るかい、それともこっちで作ろうか」
すると木製のドアの内からモトの声がした。
「今日は頼むよ」
モトは、ありったけの声でいった。
「何がいいの・・・」
勝子が大きな声で問い返す。
「軽いもの・・・そばでいいよ」
勝子は、決して二階へ上がろうとはしない。二階までの勾配が急なためいつも下から声を掛ける。一番下の佳代子が勝子と体形がそっくりだといわれている。ずんぐりむっくり系でまるでビール樽のような体形をしている。それで二階へ上がるのが億劫なのだ。
「蕎麦だってさ」勝子が面倒臭そうにいった。台所へ行き食器棚の引き出しを開けた。
「少しあるわ。一回分ほど。大丈夫だわ」勝子は、道男に聴こえるようにいった。
道男の前に座り目の前にあるコップのビールを飲んだ。
「何か食べるかい」
テーブルの上には空になった皿が数枚置いてあった。今朝方焼いた鯵の干物の残りにキンピラごぼう、それにニシン漬を出したが全て道男が平らげたのだ。
「ウインナーソーセージなかったか。あらびきの」
普通のウインナーソーセージではない。手作りのジャンボソーセージで香辛料の効いたものである。
「二本ほど焼けや」
道男は、ビールから日本酒に変えて飲み始めた。
「それにしても、お兄さんたち電話一つ寄こさないね」
勝子がそういって枝豆を口に放り込んだ。
「いいじゃねえか。そのほうがこっちもやりやすいべ」
「何が・・・」
勝子は、意味が分からなかった。
「楽は苦の種、苦は楽の種って言うじゃねえか」
「それがどうしたのさ」勝子には、分からなかった。
「何でもいいけどさ、お母さんを注意して看てないと駄目だね。佳代子に言っておくわ」
「蕎麦、早く作れよ。俺、酒飲めねえだろう」
出来た食事は、道男が二階へ運ぶ。

溝鼠ー⑰(定男、母さんのこと頼むぞ・・)との父の声が [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

病院を出て100メートルほどのところにバス停があった。そこでバスを待っているとまた雪が降りだした。定男は、フードを深々と被り冷え込んできた外気に耐えながらバスを待った。背負ったリュックサックが重い。中に特別重たいものが入っている訳でもない。肩に圧し掛かるような感じだ。お茶の入った500mlのペットボトル一個に母の使った洗い物のバスタオルだけだ。定男は、精神的にも肉体的にも今までの疲れが出てきたと思った。ベッドに横になっている母の顔が目に浮かんだ。俺を助けてくれたのは、親父だ。
(定男、母さんを頼むぞ)との父の声が聴こえるようだ。(父さん)定男は、小さな声で言った。辺りには、誰も居なかった。定男は、フードの中で込み上げてくる涙をぐっと抑えた。鼻孔から鼻水が滴り落ちた。
この一週間、晴れた日は一日もなかった。家に着いたのは、いつもより遅かった。渋滞でバスが遅れ、やっと来たバスに乗っても2.3メートル走っては止まる。この繰り返しである。乗っている乗客の顔は、ほとんどが不快な顔をしていた。やっといつもの降車する栗橋についた。もう一踏ん張りと自分に言い聞かせながら深い雪の中を歩きやっと家に辿り着いた。
玄関を開けるなり杏子がいった。
「久仁子さん、明日来る予定だったけれど、この雪でしょ。観見町も大雪で飛行機が飛ばないだって。それで一日遅れって」
定男は、玄関を入った瞬間に更に疲れがどっとでた。
定男は、首を縦に振り「分かった」と答えた。
居間に入っても口を利くのが億劫だった。
杏子は、定男がいつもと違うことに気づき、
「無理しないで車で帰ってくると良かったのに」
タクシーもバスも同じである。渋滞で身動きが取れない。幸い席を確保できたので辛抱できたが立ち通しならそれこそ今頃は、倒れているだろうと思った。
定男は、熱めのお茶を一口飲んで長椅子に横になった。しばらく休んでから夕食を摂った。杏子が夕飯の後始末を終え一段落して居間に戻った。
定男が杏子に言った。
「どうかな、お袋をこっちへ連れてきたいと思うが」
定男は、思いつきで話したのではない。最初に母に会った時からそう思っていた。それに道男の態度を見ているとなお更そう思うようになった。
「良いわよ。私もそう考えていたから」
杏子が反射的にいった。
杏子は、反対することはないと思っていた。定男も杏子の母親をこちらで面倒を看た。だからということではないが、もともと杏子は、モトの面倒を看る覚悟で小林家に嫁いだのである。
「そうか・・・」
だが、定男は、自分の家に置く自信がなかった。自分が健康なら母の面倒を看ることも出来るだろうが、この有様だ。心臓のバイバス手術をして二年と経過していなかった。一口に心臓バイバスというが、その人により治療箇所が異なり治癒の期間も違ってくるだろう。定男は、他人よりも神経質な性質ではないが、心臓の毛細血管が四分の一ほど死滅している。運動のために歩くが、自分よりも高齢者と思われる人が定男を追い抜いて行く。最初は、不思議だと思ったが徐々に分かってきた。自分の体は、半人前なのだということを。
杏子にばかり負担が掛かる。今度は、杏子が倒れたらそれこそお仕舞いである。
「南河橋のところにNPO法人で介護の相談に乗ってくれるところがあるだろう。明日にでも行って相談してみるよ」
「そうしなさい」杏子が快諾してくれた。
翌日、定男は、早速、そのNPO法人のところへ出かけてみた。

溝鼠―⑬物干し竿の端に [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

翌日、行ってみるとすでに点滴が始まっていた。看護師が体温と血圧、それに脈拍を測り部屋を出て行った。
ベッドサイドに行き母の顔を見た。特に変わったところもなさそうだ。中腰になり母の顔を覗き込んでいると腰が痛みだした。椅子を探すと部屋の隅に折りたたみ椅子が置いてあった。それを出してきて母の前に座った。暫く母の顔を見ていた。なぜか自然と涙が込み上げてきた。
小学生のころを思いだした。
母によく叱られたものだ。これといって別に悪いこと事をしたわけではない。暗くならないうちに帰るように言われているが遊びに夢中になると時間を忘れてしまう。気が付くとあたりは、黄昏時を過ぎ友達の顔も見えない時間になっている。慌てて家に帰る。それでよく「いつまで遊んでいるの」と母に叱られたものだ。これが始終である。
夏休みになると近くの浜に泳ぎに行く。友達が大勢いる。母は危険だから泳ぎに行くなというが母の目を盗んで行く。日本手ぬぐいを一本腰のバンドに差し込み浜へ行く。裸になりズボンからバンドを抜いてそれを腰に締めそこへ日本手ぬぐいを差し込み褌代わりにして泳ぐ。子供である。褌などあってもなくてもいいようなものだが、知った女の子も泳ぎに来る。そのために日本手ぬぐいが必要になる。
時間の経つのも忘れて泳ぐ。気が付くと日が沈み掛けている。慌てて衣服を着て走って家に帰る。
家に帰るとそっと裏口に回り物干し竿の端に日本手ぬぐいを掛ける。するとそれを見て「また、泳いできた」と言って母に怒鳴られる。
子供を思っての母の気持である。その時の母の顔を思い出すと自然と涙が込み上げてきた。心のなかで定男は、「怒られたな。母さんに」と声をかけた。お袋は目を瞑っているが元気なら恐らく「うふっ」と声を出して笑ったであろう。
父と母に連れられ地方を回った。それぞれの町での思い出がよみがえってきた。母の怒った顔、笑った顔などその時々のことが頭に浮かんだ。部屋の中は、静かだった。角部屋で最後尾の部屋である。そのせいか廊下を通る看護師やヘルパーの足音などは聞こえない。遠くの方から時々笑い声が聴こえるぐらいだ。
誰かこちらへ歩いてくる。道男と勝子の声がした。
「来てたのか。早えな」
道男は、そういいながら母に近づき顔を覗き込み母の額に手を当てぞんざいに髪の毛を撫でた。
「目を開けろ。目を。俺だ」と大きな声で言った。

溝鼠ー⑪「帰る・・・。帰ろうね」と [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

道男は一方的に話をするとそそくさと部屋を出て行った。勝子が遅れまいとしてその後を追った。
定男は、道男の話しが理解できなかった。「大腸がん」この話は、突然今日になって出た話だ。昨日の手術の結果では、がんの話など全くなかった。病院側でも大腸を60センチほど切除したといったが大腸がんであるとは言っていない。
それを言わなかったのはなぜなのか不思議であった。高齢者のがんは、進行が遅いと世間ではいわれている。

面会謝絶でもない。緊急性による酸素吸入をしているわけでもない。看護師やヘルパーが出入りしている。先ほどから母の様子を見ているが直ちに亡くなるとは、到底思えない。定男は、道男にまんまと担がれたと思った。
定男は、部屋に戻った。母は、目を瞑っていた。看護師が点滴の準備をしていた。
「母の容態は、重いのでしょうか」
定男は、恐る恐る訊いてみた。
「今のところは、落ち着いていますよ」とほほ笑みながら看護師は言った。
それを聞いた定男は、その通りだと思った。
道男が言った菩提寺の住職との打ち合わせは虚だろうと思った。
定男は、母の傍にしばらく座っていた。母の手を握ってみた。母の温かい手のぬくもりが伝わってきた。
部屋は、南向きの部屋であった。窓から外を見ると病院全体は、コの字型になっている。その角部屋で目の前に病棟が見えるだけだ。窓から下を覗くとテラスなのかその上に雪が積もっていた。静かな部屋だが道路が見えない。そのせいか実に殺風景な感じがした。母の腕に点滴をした看護師が部屋を出て行った。
定男は、母が未だ目を開けていないことに気が付いた。母の顔を覗き込んだ。
「かあさん、起きている」と訊いてみた。
返答がない。定男は再度少し大きめな声で母に言った。
「かあさん、目を開けて」と。すると母が目を開けた。
まるで梅干しの種のような小さな目をしていた。子供の頃の母の目は、大きく睨まれたら観念しなければならないほどの鋭い眼力があった。その目は、まるで梅干しの種のように変わっていた。
「定男、定男だよ。定男」とゆっくりと話すと母は分かったのか、初めて「定男」と言った。「帰る・・・。帰ろうね」と定男にいった。
母は、この病院へ入る前は、G介護施設に入っていた。二年前から入所していた。
「母さんは病気だよ。だからこの病院へ入っているの。分かる」というと目を瞑り黙りこんだ。
母は家に帰りたいのだと思った。
「どこか痛いとこない」と訊くと
「痛くない」とはっきりと否定した。母の気持ちの中には、「帰る」ことしか頭の中に無いようだ。
これだけ会話ができるなら申し分ないと思った。「寺の住職と打ち合わせ」か。ふざけたことを言う奴だと定男は思った。
「母さん、大丈夫。頑張れ」
励ましの言葉を掛けたが、心の中で、このまま母をこの病院に置くべきかどうか迷っていた。母は帰りたいといっている。つれて帰るべきか。いずれにしても明日は寺の住職がどうなったか道男に訊いてみようと思った。



溝鼠ー⑩吐き捨てるように言った [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

定男は、母の横顔が何度も思いだされ昨夜は眠れなかった。
先ほどから整理タンスの上の目覚まし時計を何回も見ていた。朝の3時を少し回った頃からトイレに幾度も立った。ベッドからいつ抜け出そうかと考えていた。あまり早く起きると杏子に迷惑が掛かる。それで適当な時間になるまで、ベッドの中でじっと我慢をしていた。5時になった。ベッドを抜け出し居間の石油ストーブに電源を入れテレビをつけた。ニュースが流れていた。いつもなら通販の宣伝をしている時間帯であるが今日はどのチャンネルも雪害の状況を伝えている。
雪は、今日になっても降り続いていた。飛行機や列車など公共交通機関が寸断され各地で止まっていた。玄関へ行き新聞受けから朝刊を引いた。ひんやりとした冷たい感触が手に伝わった。居間に戻り新聞を広げると解けた雪で新聞の端が濡れていた。新聞では、孤立している集落もある。それに臨時休校した学校が殆どである。
定男は、車の手配を早めにしなければと思った。
杏子が仕切り戸を開けた。
「早いのね」
「ああ、・・・今日は、少し早めに出かけるよ」
「あら、今日も降っているの。嫌ね」
杏子は、テレビの雪害状況を見て渋い顔をした。それから台所へ行きコップ一杯の水を一気に飲み干した。
杏子は、昨夜は十分に眠ったようだ。
疲れていたのか杏子の鼾は、一晩中部屋の中に響き渡っていた。
「今日は、早めに車の手配をしなきゃならないわね」
「ああ、頼む。今日は、おれ一人で行くよ。何かあったら電話をするから」
昨日の様子では、母が急に亡くなるような状況ではなかった。ただ、S状結腸の手術をしただけである。何も心配することはないだろうと思った。
杏子は、余裕をみて車を7時半に呼んだ。タクシーは時間通りに来なかった。30分の余裕を見てくれと言われそれで待った。
車の渋滞で普通なら30分ほどのところ一時間ほど掛かって病院に着いた。
道男夫婦が来ていた。
定男が部屋に入ると道男が部屋を出て行こうとした。勝子が
「あんた、どこへ行くのさ」と少し大きな声で訊いた。
「詰所だ。昨日の先生が来てないか見てくる」
勝子は、道男の後について部屋を出て行った。部屋を出たところで道男が
「久しぶりだべや、積もる話もあるべ」
道男の言い方は、刺々しく投げやりな言い方であった。定男は、その言い方に不審を抱いた。
母の傍へ定男は行った。ベッドサイドから母の顔を見た。髪は白髪で薄くなっていた。ベッドの名札に94歳と記載されている。十年前の母は、まだ髪は黒かった。あの時は、染めていたのだろうか。母は目を瞑っていた。母の傍に膝を落とした。そして話しかけた。部屋は個室である。定男のほかに誰もいなかった。「お袋」と声を掛けようとしたが胸が詰まり言葉にならなかった。
「母さん」という言葉が出てきた。小さい頃から使い慣れた言葉である。
「かあさん」と言葉を発した時に定男は子供に戻っていた。母に甘えていた頃の子供になっていた。込み上げるものを抑えることができなかった。両目から頬を伝って流れた。
ただ、ただ母に詫びるしかない。
「母さん、ごめんよ」と繰り返し何度も母に同じことを言った。
「許してくれる」と訊くと何度目かに母が頷いた。定男は、さらに込み上げる涙を抑えることができなかった。
「ありがとう。かあさん」と言葉にならない声で母に言った。
定男は、母の手を握った。母が軽く握り返してくれた。
その手の力は、赤子をそっと抱くようなふんわりとした感じであった。
小さい頃、母に手を引かれて歩いたころの母の手に似ていた。それは、慈愛に満ち溢れたあの時の手に似ていた。
定男は、母と言葉を交わしたいと思った。これまで抱いてきた母への思いが一気に吹き飛んだ。母との一体感で幸せであった。
道男が部屋に入ってきた。
「あのな、ちょっと部屋を出るべ。本人は、分かるから、ここでは、話せねえ」道男が小さな声で言って定男を談話室へ連れ出した。
談話室には、常連なのか昨日のメンバーがテレビを観ていた。
「昨夜、婆さん危篤状態になってよ。それで呼ばれて、俺は、来てみたんだが医者の話だと大腸がんだそうだ。齢だし手術は難しいって。持って数日だと」
昨日の話では、S状結腸の手術の話であった。それが大腸がんだという。
定男は、理解できなかった。昨日、大腸がんの話など一切出なかった。
「それでよ、俺これから寺へ行って相談してくる」
定男は、唖然とした。
「でも、俺の見たところでは、直ぐに亡くなるような状態ではないぞ」
定男がそう話すと道男が目を剥き今にも食いつきそうな顔をして言った。
「お前に何が分かる。専門家でもあるまいし」
大きな声で語気を強め吐き捨てるように言った。
定男は、道男のその剣幕に驚いた。何か狐に摘ままれたような気持になった。定男の腹の中は煮えくり返った。定男は、病み上がりである。未だ体調は戻っていない。その為に道男に言い返す力なぞなかった。
久しぶりに会った弟であるが、このような無礼な人間になっているとは思ってもみなかった。兄弟だからこそ他人よりも礼儀を弁えなければならない。それがこの態度である。定男は、不愉快だった。

人間は死ぬまで迷うとー(199) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「まあ、姉さんは、元気で何よりだ」菊婆さんは、満足げに何度も頷いていた。
杏子は、それに笑顔で答えた。
「妹は、元気か」
菊婆さんは、いまだに倫子が強引に吉次を公証人役場へ連れて行き遺言書を書かせたことを忘れることが出来なかった。
「長浜の脳外科へ入院しています」
「どうした。中ったか」
「酔っぱらって、階段から落ち頭を打ったそうだ」
庄助が言った。
「酔ってか」
杏子が頷いた。
「それはご愁傷様なこった」
菊婆さんが笑った。「吉爺のばちが当たったんだ」
菊婆さんが、ざまみろと言いたげな顔をした。
「それで、大丈夫なの」紗枝さんが訊いた。
「意識が戻らないそうです」
「心配ね」
「いずれは、こうなるだろうと思ったよ」
倫子の話しは、それで終わった。
世間話が始まった。時々菊婆さんが「なあ、庄助」と声を掛ける。庄助は、ただ笑って相槌を打っていた。
庄助は、何も言わずに窓から見える日本海を眺めていた。9月の日没時間は5時半ごろだ。太陽が西に沈み始めていた。庄助は、吉次の事を思い出していた。杏子の顔は、吉次に生き写しである。
生きとし生けるものには、必ずや死が訪れる。晩年、健康であればよいが、大病を患っているか認知症ならばただ病院でじっとお迎えが來るのを待っているか、それとも家に閉じ籠っているかのどちらかである。こんな惨めな死に方はしたくない。
しかし、人間はみな体が動かなくなると他人の手を借りなければ生きて行けない。情けないことだとつくづく思う。その点、吉次は、程よい年齢であの世に旅立った。長生きすることは幸せなのかそれとも不幸なのか。
庄助は、いつも平均寿命までは生きられたらと思っていた。それ以上、長生きすると家族と一緒にいても何となく肩身が狭い。庄助は、既にその年齢を過ぎた。今では、出来るだけ家族にも他人様にも迷惑が掛からないようにと思いながら生活している。しかし、思うだけで実情は、色々と嫁や孫の世話になっている。長く生きると家族に負担が掛かる。今は何とか杖を突いて歩けるが、菊婆さんと同じように一歩も外へ出られなくなったらと思うと胸が苦しくなる。今までは、俺も吉爺と同じぐらいで死ねたらと思っていたが、吉爺よりも長生きしている。なかなか都合よく死が訪れない。寿命だと分かってはいるが何かどうも腑に落ちない。死にたい時に死ねるならと思うがその時になったら果たして三途の川を渡る勇気があるかどうか思い惑う。人間は、死ぬまで迷うと聴いたことがある。そうそう簡単に命を絶つことなぞ出来る筈がない。自ら命を絶ったとしたらそれこそ罰当たりである。
いつも思い出すのが若い時に見た映画である。何故か今でも忘れられない。確か環境汚染か戦争かはっきりしないが地球上から自然が完全に消えて無くなる。当然食料が無くなる。残った若者や子孫のために年老いた者が自分の身体を食糧に変えるために犠牲になる。一人の老人がストレッチャーのような台に上がりMRIのようなドーム型の中に入る。映写機が回り左右の壁に昔懐かしい自然の風景が映し出される。青空の下に花畑や麦畑が映し出される。それを見ながらその老人は死んでゆく。老人の体は、グリーン色の小さな錠剤となって別な出口から吐き出され生き残っている者の食糧になる。若い頃のことだ。特に意識していなかったが、この歳になってふと思い出しそれが脳裏から離れない。しかし、果たして自分もこのような立場になったら、この老人のように死を甘受できるだろうかと思った。「早く死にたい」とか「早く父さんの所へ行きたい」などと自分と同じような年齢の人からこの言葉を聴くことがあるが本当だろうかと思う時がある。寝たきりになった人や癌などの不治の病に掛かり激痛で日ごと体が衰弱している人の言葉ならいざ知らず、元気に歩ける人の口から出ることがある。弱気がそうさせるのか。複雑な家庭の事情によるものかそれとも単なる我儘なのか分からない。
庄助は、杏子を含め3人を見ていてそう思った。
西の空に太陽が傾き始めた。空が茜色に染まり始めた。
「素晴らし眺めよ」紗枝さんが言った。皆が窓から見える夕日を見ていた。徐々に太陽が沈んでゆく。
真っ赤なほおづきのような太陽が西の地平線の彼方にゆっくりと沈んで行くのを4人は眺めていた。
「素晴らしいわね」紗枝さんは、夕映えの雲を見ながら言った。
「菊婆は、良いところに住んでるよ」
庄助は夕日を顔に受けながら言った。
「吉爺だ」菊婆さんがニコニコしながら呟くように言った。
沈みゆく太陽はまるで、熟した真っ赤なほおずきの実ように見えた。
菊婆さんは、杏子に会えたのが嬉しかったのか何度も杏子の顔を見ていた。

帰りのバスの中で杏子は、外の景色を眺めながら思った。
3人には二度と会うこともないであろう。しかし、今日は本当に良かったと思った。父の話しも聴けた。何よりも3人が集まっているその場の雰囲気は、父が生きているときもこのような感じであったのだろうと思うとそれだけで満足であった。父の事を思い倫子の事を思い出していた。
姉妹ってなんだろう、血の繋がりって何だろうと。

園子が和夫に電話をしていた。
「三日間幾ら電話をしても電話に出ないの。何かあったの」
園子が電話の向こうで心配しているのが分かる。
「ああ、母さんか、病院に入院しているよ」
「どうしたのさ」
「心配ないぞ。検査入院だ」
「検査なら直ぐに帰れるじゃないの」
「大丈夫だから心配するな」
「何の検査なの」
「大腸だってよ。何も心配するな。見舞いに来なくても良いぞ」
「検査結果を知らせてね」
和夫は電話を切ったあとニヤリと笑った。



●終わります。
長いことお付き合い頂きありがとうございました。次回掲載は、平成27年1月より掲載します。
次回もよろしくお願いします。







思わず声を上げたー(118) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

三人は、お菊婆さんの家に集まった。杏子は、久しぶりに会った父の友人、庄助の顔を繁々と眺め話す言葉に耳を傾け笑顔で聴いていた。父が生きていたら、この人は、さぞかし今以上に楽しい人生を過ごせたのではと思った。
二人は菊婆さんの家に向かった。菊婆さんの家は、麹町の方で華林町から少し奥に入った茂木山の麓にあった。そこからは日本海が眺望できる。二人は、タクシーで行った。
車の中から見える景色が懐かしかった。町は何も変わっていなかった。杏子は、子供の頃に戻ったような気がした。結婚してから幾度も実家に里帰りをしているが、今日みたいな気持にはなったのは初めてだ。不思議な感じがした。いつもは、父や母の顔を見て慌ただしく帰るだけであったが今日は違っていた。自分の心にどこか余裕があった。父や母には悪いが、肩の荷が降りたせいか、それとも倫子の顔を見なくて済むせいなのか。どちらにせよ、これまで心の底に淀んでいた物がすっかり消え失せ、すっきりと晴れ渡った青空のような気持ちであった。
家は、平屋で建坪が広く部屋数もありそうだ。当然庭も広くその真ん中あたりに太い五葉松が一本すっくと立っていた。左端には、紅葉の木が数本、右端には桜の木が三本立っていた。その木々の近くに、キンモクセイやベコニアなどが咲いていた。玄関へ向かう途中で杏子は、一瞬足を止めた。真っ赤になったほおずきが目に飛び込んだ。
杏子は、立ち止って
「あら、ほおずき」と思わず声を上げた。
先に歩いていた庄助も足を止め振り返りほおずきを見て
「ああ、あれは、吉爺が元気な頃に菊婆さんにやったもんだよ」
杏子は、そのほおずきをもう一度見直した。実家の庭で毎年実を付けていたほおずきが目に浮かんだ。あのほおずきがここで生き続けている。そう思うと懐かしさで一杯になった。杏子は、そのほおずきの傍まで行き腰を降ろしそっと右手で萼に触ってみた。
何かしら心に伝わってくるものを感じた。「何かしら・・・」と思っていると
庄助が、驚いている杏子の顔を見て微笑みながら
「それは、吉爺だ」
杏子は、そう言われて自分の気持ちに伝わって来たものは父の心だと思った。
玄関は、引き戸になっていた。この町は、古くからの伝統なのか引き戸の家が多い。杏子は子供の頃からこの引き戸に慣れており特に気にも止めてもいなかったが小林家に嫁いでから、この町に帰るたびに目につくようになった。
中戸を開けて顔を出したのは、長男の嫁の邦子であった。庄助の姿を見て横に立っていいるのが吉次の長女杏子であることが分かったらしい。挨拶を交わしていると庄助が靴を脱ぎずけずけと家の中へ入って行った。その後を杏子が、追うような格好になった。
外から見たように家の中は、部屋数が多かった。居間の傍らの廊下を通り一つ隣の部屋が菊婆さんの部屋であった。その奥にも部屋があった。
「菊婆さん、入るぞ」
庄助が大きな声で言った。障子を開けると菊婆さんが電動式ベッドに横になっていた。
正面の窓から日本海が見えた。
傍にすでに来ていた紗枝さんが座っていた。頭に白いものが混じり少し前屈みで座っていた。
「杏子さんだ」庄助がベッドの前で菊婆さんに声を掛けた。
「来たか」弱々しい声であった。
庄助が自分の前に杏子を手招きしてよび寄せた。
「お久しぶりです」
菊婆さんは、髪は真っ白になり、体つきは以前のようながっしりとした体型でなくやせ細り全体的に小さくなっていた。
杏子は、頭を深々と下げた。菊婆さんの聴き覚えのある声に懐かしさを感じたが、あまりの代わりように驚いた。菊婆さん、庄助それに紗枝さんに会い、昔の面影は、残っているものの三人の顔を見ているうちに、なぜか胸が一杯になり涙が込み上げてきた。父が亡くなってからの時の経過の早さを知らされた。
菊婆さんが傍にいる嫁の邦子にベッドの背凭れを上げるように言った。静かにベッドの背凭れが上がり菊婆さんの顔が見えるようになった。
「よく来たな。これは紗枝さんだ。覚えてるか」菊婆さんは、傍に座っている紗枝さんを顎でしゃくった。
紗枝さんとは、全くの初対面ではなかった。あの頃、四人はいつも一緒だった。紗枝さんは、大人しい人で目立たなかった。そのためか杏子の記憶には、微かに残っている程度であった。
邦子さんが座布団を持ってきて二人に勧めた。
「元気だったか」
それでも男勝りの性格は抜けていなかった。
「吉爺が亡くなって何年だ」
「十年経ったか」庄助が杏子をみて言った。
「ええ、十二年になります」
「そうだろうな」菊婆さんは、昔を懐かしむかのような目をしていた。
「俺も長生きしたもんだ。俺が先に逝くもんだと思ってたんだが、吉爺が先に逝ったもな」
「お爺ちゃんは、心根の優しい人でしたね」相変わらず紗枝さんは、物静かな言い方をする。
「長生きし過ぎた」菊婆さんがそう言って庄助の顔を見た。
「庄助、長生きして良い事あったか、え~」菊婆さんが庄助の方を見て言った。
「なんだか知らねえが、あっという間にこの歳になった」
菊婆さんも同感なのか何度も頷いた。
「そうだな。俺もそうだ。あっというまにこの歳になっちまった」
菊婆さんは、うら寂しげであった。
傍で紗枝さんも頷いていた。

夜間救急病院へ(117) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

杏子は、華林町へ来ていた。秋分の日が近い。青々とした木々が秋の訪れを迎えようとしていた。華林町へ来たのは、墓参りもあったが庄助との約束を果たすのが目的であった。一度ゆっくりと話をしてみたいと思っていた。墓参りのあと菩提寺に行き住職にあった。日頃のご無沙汰を詫びた。そこで倫子が入院をしていることを知らされた。脳挫傷で長浜の脳神経外科へ入院しているという。住職の奥さんが残念そうな顔をして話した。倫子は、夫の光一が亡くなってから、この菩提寺の世話人を任されていた。
奥さんの話しでは、何でもスナックで飲んでいるうちに些細のことから客と口論になったという。喧嘩の理由は、至ってつまらないことで、美空ひばりを除いて、現在演歌の上手い歌手は誰かと言うことになって倫子は、斉藤昌子と言ったが、男性客は、一関さゆりだという。それが元で互いに意見を譲らず倫子がそれに腹を立て「帰る」と一言いって店を出たという。その後、少ししてから救急車のサイレンの音がして、その音が店の前で止まったという。ママが出てみると、倫子が体をくの字にして二階から降りた踊り場に倒れていたという。救急隊員が、倫子を踊り場から担架に乗せ一階まで運び直ぐに車に乗せ走り去ったという。隣のスナックから出てきた客が直ぐに119に電話を入れたのが幸いし、救急車で夜間救急病院へ運んだという。当番医が言うには、どうも頭を打っているらしいので脳神経外科へ連れて行くようにとのことで、それで長浜へ搬送されそこで脳挫傷と診断んされた。
杏子は、初めてそのことを知った。和夫も園子からも何も連絡がなかった。菩提寺の帰り道で思った。
杏子は、実家の仏壇が気になった。倫子が入院しているなら、仏の面倒をみる者が誰もいない。脳挫傷となると頭の打ち所にもよるだろうが簡単に回復するものではない。吉次と珠子の顔が目に浮かんだ。菩提寺で面倒をみて貰っているが、やはり家族の温もりが欲しいだろうと杏子は思った。
先日、庄助に教えて貰った住所を頼りに家を探した。小さな町である。それに杏子も子供のころから知った町である。庄助の家は、花城団地である。簡単に分かった。家の構えがどこか実家の造りに似ていた。門柱があり中に入ると両脇に庭があり、その庭には、桜の木と松が植えられてあった。この風景は、全く実家の様子に酷似していた。
玄関の脇には、庭への散水や車洗いの水道管が引かれてあるのもそっくりだ。それに玄関も引き戸であるのになおさら驚いた。何から何まで実家の造りと同じであった。
引き戸を開けて声を掛けると長男の嫁であろうか、中戸を体半分ほど開けて頭を軽く下げた。
「わたし、小林杏子と申します」杏子は、そう言ってから
「亡くなった吉次の娘です」と付け加えた。すると
「あら、吉次さんの娘さん」と言って相好を崩した。
杏子もその顔に合わせて笑顔で頷いた。
長男の嫁と思しきその人は、少し慌てた表情で
「義父ですね」と言って顔を引っ込めると奥の方に向かって
「お父さん。お客さんだよ」と大きな声で言った。
それからまた顔を出して
「今、来ますから。最近、めっきり歩くのが難しくなって。ともかく、上がってください」と言って中戸を大きく開けた。この造りも同じである。
庄助が杖を突きながら出てきた。この間よりも少し痩せたように思えた。変わらないのは鼻の下の真白い髭ぐらいだ。
「ああ、杏子さんかい」庄助が満面の笑みで杏子を迎えた。
「お元気なようで」
「あんたが來るというのでお菊婆さんにもそう話したら喜んでいたよ」
「お菊さんは、お元気で・・・」と訊くと
「ああ、俺より年上だが元気そのもので、相変わらず口だけは達者だ」
庄助がそう言って笑った。

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