溝鼠ー⑰(定男、母さんのこと頼むぞ・・)との父の声が [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

病院を出て100メートルほどのところにバス停があった。そこでバスを待っているとまた雪が降りだした。定男は、フードを深々と被り冷え込んできた外気に耐えながらバスを待った。背負ったリュックサックが重い。中に特別重たいものが入っている訳でもない。肩に圧し掛かるような感じだ。お茶の入った500mlのペットボトル一個に母の使った洗い物のバスタオルだけだ。定男は、精神的にも肉体的にも今までの疲れが出てきたと思った。ベッドに横になっている母の顔が目に浮かんだ。俺を助けてくれたのは、親父だ。
(定男、母さんを頼むぞ)との父の声が聴こえるようだ。(父さん)定男は、小さな声で言った。辺りには、誰も居なかった。定男は、フードの中で込み上げてくる涙をぐっと抑えた。鼻孔から鼻水が滴り落ちた。
この一週間、晴れた日は一日もなかった。家に着いたのは、いつもより遅かった。渋滞でバスが遅れ、やっと来たバスに乗っても2.3メートル走っては止まる。この繰り返しである。乗っている乗客の顔は、ほとんどが不快な顔をしていた。やっといつもの降車する栗橋についた。もう一踏ん張りと自分に言い聞かせながら深い雪の中を歩きやっと家に辿り着いた。
玄関を開けるなり杏子がいった。
「久仁子さん、明日来る予定だったけれど、この雪でしょ。観見町も大雪で飛行機が飛ばないだって。それで一日遅れって」
定男は、玄関を入った瞬間に更に疲れがどっとでた。
定男は、首を縦に振り「分かった」と答えた。
居間に入っても口を利くのが億劫だった。
杏子は、定男がいつもと違うことに気づき、
「無理しないで車で帰ってくると良かったのに」
タクシーもバスも同じである。渋滞で身動きが取れない。幸い席を確保できたので辛抱できたが立ち通しならそれこそ今頃は、倒れているだろうと思った。
定男は、熱めのお茶を一口飲んで長椅子に横になった。しばらく休んでから夕食を摂った。杏子が夕飯の後始末を終え一段落して居間に戻った。
定男が杏子に言った。
「どうかな、お袋をこっちへ連れてきたいと思うが」
定男は、思いつきで話したのではない。最初に母に会った時からそう思っていた。それに道男の態度を見ているとなお更そう思うようになった。
「良いわよ。私もそう考えていたから」
杏子が反射的にいった。
杏子は、反対することはないと思っていた。定男も杏子の母親をこちらで面倒を看た。だからということではないが、もともと杏子は、モトの面倒を看る覚悟で小林家に嫁いだのである。
「そうか・・・」
だが、定男は、自分の家に置く自信がなかった。自分が健康なら母の面倒を看ることも出来るだろうが、この有様だ。心臓のバイバス手術をして二年と経過していなかった。一口に心臓バイバスというが、その人により治療箇所が異なり治癒の期間も違ってくるだろう。定男は、他人よりも神経質な性質ではないが、心臓の毛細血管が四分の一ほど死滅している。運動のために歩くが、自分よりも高齢者と思われる人が定男を追い抜いて行く。最初は、不思議だと思ったが徐々に分かってきた。自分の体は、半人前なのだということを。
杏子にばかり負担が掛かる。今度は、杏子が倒れたらそれこそお仕舞いである。
「南河橋のところにNPO法人で介護の相談に乗ってくれるところがあるだろう。明日にでも行って相談してみるよ」
「そうしなさい」杏子が快諾してくれた。
翌日、定男は、早速、そのNPO法人のところへ出かけてみた。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。