溝鼠-⑱お前のような地獄の果てまで [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

雲間からでた太陽は、昨夜降った新雪を照らしだしていた。その新雪から放たれた光は、辺り一面に乱反射しその光で定男は、目を開けて歩けないほどであった。定男は、目を細めながらNPO法人の事務所へ向かった。事務所へ入るとミーティングの最中だった。それでも快く迎えてくれた。別室へ案内された。間もなく中年の職員が笑顔で部屋へ入って来た。
「ご用件は、どのようなことでしょうか」と訊いた。
「はい、母親の件でお尋ねしたいのですが」
定男は、背の高い体のがっしりとしたその職員に尋ねた。
「実は、現在、草間市の病院に入っておりますが、病院側では、3ヶ月が経過したら他の病院か施設に移ってもらいたいというものですから」
その中年の職員は、定男の言葉を一言半句も聞き漏らすまいとして前かがみになり定男の言葉に耳を傾けていた。
「それで、砂山では、そのような病院や施設があるかどうか教えて頂きたいと思いまして相談に参りました」
「そうですか、最近は、NPO法人も多くなりましていろいろあります」
その職員は、席を立ち部屋の隅のパンフレットラックから一部パンフレット抜いて定男の目の前に置いた。
「これをご覧になってください」
写真入りのA4版の3枚組みになったパフレットであった。
「まず読んでみて下さい。もし、分からないところがありましたら電話なりこちらに来て頂ければ詳しくご説明いたします」
パンフレットを開くと「特別養護老人ホーム」「介護老人保健施設」
グループホーム」特定施設(有料老人ホーム)が掲載されてあった。
定男は、新聞やテレビで話題になっている特別養護老人ホームの項目に目を移しざっと目を通した。
「ここは、なかなか難しいそうですね。順番待ちとか」
定男は指でその場所を指し示した。
「どこの都市部も空き待ちでしょうね」
その職員は、ちょっと首を傾げて難しいといった表情をした。
砂山市の特養を含めた一般施設の料金体系を教えてもらい定男がその事務所を出たのは1時間ほど経ってからであった。
定男は、その足で掛かりつけの病院へ行った。この病院には一ヶ月に一度通っている。
母のことを相談するためにその病院へ行ったわけではない。定期健診でいったのだ。
定男の体を一通りの診た院長は
「問題ないようですね」といっていつもの薬を出してくれた。
世間話をするつもりはなかったが母のことを話してみた。すると院長が「うちでもやってますよ」という。この場所ではないが勤務医として友人が砂山市のはずれの総合病院で働いているという。定男は、その話を聞いて飛びついた。先ほどNPO法人でこの病院のことも聞いていた。ここは、月に12万円ほど掛かることも聞いていた。
「あの・・・、その病院で母をお願いできませんでしょうか」と自然と口から出た。
道男から、一年か二年交代で母の面倒を看ないかと持ちかけられた。定男は、それ以来、母の看病をどうするか色々と考えていた。
「良いですよ」と主治医は言ってくれた。
定男は、病院の外へ出てから直ぐに道男に電話を入れた。
「ああ、俺だが。婆さんの面倒、これから俺が看るから」
すると、電話の向こうで道男がいった。
「お前のような地獄の果てまで俺が行けるか」
大きな声だった。言葉の端はしにうろたえる様子が伺える。
定男は、道男の次の言葉を待った。
「あのな、こっちの病院で今受け入れ先を探しているから、こっちがだめならそっちにする。どこよ」今度は、落ち着き払った静かな調子であった。まるで宥め透かすような言い方である。
定男は、砂山市のはずれにあるR病院だと答えた。
「ああ、あの病院か。幾らだ」
「月、12万円ほど掛かる」
「高えな。兎に角、そっちのほうには、うまく話してこっちが決まるまで保留にしておけ」
定男は、返す言葉がなかった。呆れてしまった。
「分かった」
それで電話を切った。それにしても、あの慌て様は何か。定男は、ますます道男という男が理解できなかった。
(お前のような地獄の果てまで俺が行けるか)この言葉が定男の耳から離れなかった。
その日のうちに、定男は、掛かりつけの主治医に詫びに行った。主治医の友人も了解してくれたとの事である。なかなか入院先を探すのが難しい時代である。
二人の医者に申し訳ないとの気持ちからわざわざバスと地下鉄に乗って草間市まで出かけデパートで心ばかりの手土産を買って持参した。午前中にお願いをして午後には詫びに出かける。定男は、先走ったことをしてしまったと反省した。お袋の所在地は道男のところだ。
道男の言葉に腹が立った。
翌日、定男は、母のところへ行った。「地獄の果て」との言葉が耳から離れない。確かに草間市から砂山市の外れまでとなるとバスで1時間半は掛かる。
定男の住んでいる栗橋町は、すべて戸建ての住宅である。2500世帯は住んでいる中規模な団地である。そこに住み着いてから既に35年は経っている。定男にとって、今は故郷である。その場所を地獄の果て呼ばわりされた。
この男が血肉を分けた弟だと思うと情けなくなった。死んだ親父は、墓の下でどのような思いでいるだろうかと思った。

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