親にとって子供って何だー(18) [現代小説ー灯篭花(ほうずき)]

「一人で悩んでねえで皆に言ってみろや」
吉次はそれでも黙々と釣り針にテグスを巻いていた。
「母さんの調子はどうだ」
菊婆さんは、くわえタバコの煙が目にしみるのか細い目をさらに細めガラガラ声で訊いた。長いこと飯場で働いて来たせいか言葉が男言葉になる。
「心臓に脳梗塞だ。そう簡単に治らないべ」
菊婆さんは目の前にある大きな灰皿に吸っていたタバコを押し付け揉み消した。それからおもむろにテーブルの上に置いてある色あせた樺色の小さな巾着袋を左手で手前に引き寄せ袋の中に手を突っ込みピーナッツを一粒ずつ取り出してそれを口に運びながら心配そうに吉次を見た。
「悪くなる一方で良くはなんねぇ」吉次はぶっきらぼうに言った。
「リハビリやってるのか」庄助は一合酒をちびりちびりと口に運んでいる。
「なかなか出来ねえ、無理だべ」
珠子には、リハビリは無理だと知っていた。
「まあ、ドンと構えて気長に待つことだ」
菊婆さんのピーナッツを噛む音が聞こえる。
紗枝さんが菊婆さんの横で「そのとおりよ」と言った顔をして頷いた。
庄助は、珠子のことで吉次が悩んでいるとは思わなかった。先日の「とんこ」で聞いた倫子のことだろうと思った。
「倫子のことだべ」
吉次は、初めて顔を上げた。話そうかどうか迷っていたのだ。
「娘はなんにもならねぇ」と、はき捨てるように言った。
「親子喧嘩でもしたのか」菊婆さんが顔をしかめた。
吉次は小さく首を横に振った。
「そんなものじゃねえ」その声は、小さく擦れていた。吉次の小柄な体が更に小さく見えた。
「何があったんだ」菊婆さんが細い目を更に細くして訊いた。
吉次が言うまいかどうしようかと迷っているようだ。
「恥ずかしくて言えねえ」
菊婆さんは、奥歯にピーナッツが挟まったのか右手の人差し指でそれを掻きだそうとしている。ピーナッツは、直ぐに取れた。取れたピーナツを噛みながら
「それぞれの家には人様に言えねえ問題を抱えているものだ。それを他人様が聞いても解決できるものでねえが、話せば少しは気持ちが楽になるべ」
「そうだぁ。腹の中に溜め込んじゃならねえ」
「体に毒よ」紗枝さんが初めて声を出した。吉次のやつれた姿を見て紗枝さんは、あまりの変わりように先ほどから我が身のように心配していた。
「聞くぐれいならできるだ」菊婆さんが吉次の顔を覗き込んだ。
吉次は黙々と手を動かしていた。
「親にとって子供は何だ」
突然のことで三人は互いに顔を見やった。
「・・・」
庄助が
「子供って・・・」
「ああ・・・自分の子供だぁ」
「なに言ってんだがわかんねぇ」庄助が妙な顔をした。
「分からねえならそれで言い」
「自分でこさえた子供だが、その子供の気持ちが良く分からねえということだべ」菊江婆さんが言った。
吉次がそうだと言わんばかりに頷いた。
「どしてだ」庄助が訊いた。
「そう思うこと無いか」
「俺の息子も年増の女と逃げた。何を考えているんだか。親の心子知らずとはこのことだ」
菊婆さんが、寂しそうに言った。
「それならまだ許せるべぇ」吉次がまた手を動かしていた。
「なんでだ」
「そんな生易しいことでねぇ」
吉次は菊婆さんの顔を見ずにいった。
「そんなに難しいのか」
「俺の知らねえうちに珠子の金を他の銀行に勝手に移すか」
「誰が・・・」
三人は、互いに顔を見合わせた。
「もしかしたら、倫子か」庄助が言った。
この間、「居酒屋とんこ」で聞いた話と違っていた。
吉次が頷いた。
「どうしてそんなことを・・・」佐枝さんが驚きの声を上げた。
「それにしても酷いなぁ」庄助の手に思わず力が入った。
「通帳と印鑑の場所を教えているのか」菊婆さんがピーナッツを三つぶ左指で掴むとそれを口に入れた。
「ああ」
「なんで教えたんだ。お前も馬鹿だなぁ。それでいつ頃の話だ」
菊婆さんが眉間に深いしわを寄せた。
「俺が杏子のところへ行っているときだ」

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