あの大将に女がいたとー(19) [現代小説ー灯篭花(ほうずき)]

「それじゃ最近の話だべ」
庄助が残り少なくなった酒を一滴も溢すまいとして左手を広げ顎下に持ってきて啜っている。
「どこの銀行から移したんだ」
「信金からだ」
吉次が腹の底から怒っているのが分かった。
「信金は本人確認しないのか」
庄助は自分の経験から金融機関はどこも必ず本人確認をする。それなくして勝手に払い出しすることはないと思った。
「なーに、こんな小さな町だ。どこの誰だかみんな知ってるべぇ。うまく話をこしらえたらそれで通るさ」
菊婆さんが顔パスで通るようなことを言った。
庄助はそれを聞いてそれもそうだと思った。
「珠子に頼まれたと言ったらしい」
「窓口は倫子を知ってるべぇ」
菊婆さんは、倫子が病院に勤めている。それで当然倫子の顔を知っている者が多いはずだと思った。
「幾らだ」庄助が小さな声で吉次に訊いた。
「一五〇万」
「定期か・・・」
「ああ、満期の通知が来ていた・・・」
「杏子のところへ行っている間にやられたか」
菊婆さんが何を納得したのか何度も頷いた。
「そうだ」
「吉爺はどうしてわかった」
庄助の声は、酒が入ったせいか声が大きくなり力が入っていた。
「信金に俺が行って手続きしようと思ったら、倫子がきて婆さんが体の調子が悪いので代わりに来たといって、それで金を下ろして行ったと」
「通帳と印鑑を持って行ったらどうしょうもないべぇ」
菊婆さんの目が鋭く光った。
「ああ、それで銀行に移された」
吉次は、信金との取引が長かった。銀行よりも信金のほうが何かと面倒を見てくれるので親近間があった。
「信金に行くまで分からなかったのか」
菊婆さんがタバコに火を付け深く吸い込み口から思い切り煙をはき出した。その煙は四人の周りを漂った。
「ああ・・・、それにしても考えてみたこともねえことだ」
「そりゃそうだ。誰も親の金を勝手に引き出して他に移すとは思いもしないべぇ」
菊婆さんは、吉次のやつれた顔を見て気の毒に思った。
「それにしてもなぜそんなことをしたんだ」
庄助が首をかしげた。
「銀行を移したことを倫ちゃん爺ちゃんに言わなかったの」佐枝さんが訊いた。
「ああ、倫子を問いつめたら銀行から再三再四にわたって預金してくれって言われていたから替えてやったと」
「倫子は、どうも吉爺の財産を全て知っているなぁ」
菊婆さんが鋭い目で吉次に言った。
吉次は、この間、居酒屋「とんこ」で庄助に土地と家屋の話をしたが定期預金の話しはしていない。ここで倫子にすべての財産を見せたことを話していいものか迷った。
「誰でも分かるようなところに印鑑を置いておくからだ」
菊婆さんが吉次を叱った。
「ああ、俺も迂闊だった」
「それにしても親の金を勝手に動かすなんて考えられねえ」
庄助が一合酒の残りを一気に飲み干し瓶の口を手の平に叩き中から出てくる少しばかりの酒を舌で舐めながら
「だから元気がなかったのか」と言った。
庄助は、酒が入った勢いか
「俺が倫子に意見してやろうか」と真面目な顔で言った。
「いや、一度叱ってやった。すべて俺が悪いんだ」
吉次がしんみりと言った。
「印鑑や通帳など財産は今でも同じ場所に置いたままか」菊婆さんが丸くなった背を更に丸めて吉次の顔を覗き込んだ。
「この鞄の中だ」吉次は手元にあるショルダーバックを指さした。
「ああ、それが良い」菊婆さんが頷いた。
「それにしても全財産を持ち歩くなんて危なくない」佐枝さんが心配そうに訊いた。
「どうりで重たそうだと思った」庄助がショルダーバックを持って重さを確かめている。
「仕方ねえべぇ」菊婆さんが残念そうに言った。
「俺みたく何にもねえ~のが一番だ」
庄助は吉次が羨ましかった。
庄助は人が良くて定年退職した後、行きつけの飲み屋の大将に懇願されて五〇〇万円の連帯保証人になったが大将は、サラ金から金を借り金利がかさみにっちもさっちもいかなくなりとうとう店仕舞いをした。庄助が店の玄関の張り紙を見たのは一週間ほどしてからであった。大将の行く先は不明であった。「逃げられた」と気づいたときは、遅かった。その支払いが庄助のところに回った。どうにか完済することができたが庄助にとっては痛手であった。
「まあ、それにしても280万円ほどで済んだ」と胸をなで下ろした。
家の一軒も建てられず息子の悟に世話になっている。特に嫁の憲子には何かにつけて遠慮しなければならない。
菊婆さんが右手の親指と人差し指を丸めて
「そんなことないべぇ。結構持ってるべぇ」
そう言って丸めた指を庄助に見せてにやりと笑った。
「いや、本当だ。退職金も三分の一は保証で消えた」
「保証金以上の金が酒に変わってしまったべさ」
「そんなに使ったと思わねえがいつのまにか消えてしまった」
一合酒の瓶が空であった。飲み足りないのか庄助は先ほどから自動販売機の方をちらちらと見ている。
「息子さんに幾らか上げたの」佐枝さんが言った。
「なーに全部飲んでしまったのよ」菊婆さんが至極当然のようにいった。
「菊婆さんにはまいるな」庄助は大きな声で笑った。
「なんも参ることなかべぇ。本当のことだべぇ」
佐枝さんが自販機の方へ歩いていった。
「庄助は人が良いから騙されるんだ」吉次が菊婆さんに言った。
「だれに騙された・・・」
「栗毛公園のそばにあった居酒屋{海猫}の大将だと」
吉次が庄助の顔をちらっと見た。
「本当の話か」
「嘘も本当もねえ。本当の話だ」
「あの大将に女がいたというでねえか」菊婆さんはなんでも知っている。
「それは知らなかったなぁ」庄助が口をあんぐりと開けたままだ。
「この町の女か・・・」吉次が訊いた。
「いや、浮須町でやはり同じ商売をしている一人もんの女だ」
菊婆さんは情報通である。
大将は庄助に、店をもう少し広げ客数を増やしたい。従業員も雇い女将さんには店の奥で経営全般を仕切ってほしい。それで当座の資金が必要だと言うので連帯保証人になった。しかし、その金が浮須町の女に貢がれていたとはついぞ知らなかった。今から考えると店の工事をした形跡が無い。庄助は、酒を飲むと気が大きくなる。酒の勢いで連帯保証人になった自分につくづく嫌気がさした。
佐枝さんがビールを買ってきて庄助の前に置いた。
「悪いね、佐枝さん」
「酒はやめろ」菊婆さんが言った。
そう言われても好きなものはやめられない。
庄助はビールの蓋を開けて三分の一ほどを一気に飲み干した。
「お前だら水も酒も同じだ」菊婆さんがそう言って庄助の前にピーナッツの袋を差し出した。
庄助はそのピーナッツ袋に手を突っ込み口に放り込みぽりぽりと噛みだした。
「菊婆さんは歯が丈夫なんだなあ。こんな堅いものよく食えるよ」
「小さい時から親に干し鱈ばかり喰わせられたからよ」
「いてえ」
「どうした。舌を噛んだ」
「馬鹿たれや。堅いものは口に入れてからすぐに噛まねえで少し舐めて柔らかくなってから噛むんだ」
「そんな面度くせえことできるか」
佐枝さんが菊婆さんの横で声を出して笑った。
「ところで最近、母さんのところへ行ったか」菊婆さんが吉次に訊いた。
「行ってね」
「どうしてだ」
「あの病気は長く掛かる。俺が行っても何も役にたたねえ。それに杏子の傍に置いているから心配ないべえと思って」
「そんなことなかべえ。夫婦だべえ。顔を見せるだけでも違うべえ」
吉次がにやにや笑っている。
「笑い事でねえ」菊婆さんが語気を強めた。
「分かった」
「本当に分かったものだか」菊婆さんが腹を立てているのが分かった。
「行くわよね」佐枝さんが横から言った。
「俺も行かなきゃならねえと思っているが倫子がうるさくて・・・」
「うるさいって」佐枝さんが身を乗り出した。
「俺が杏子のところに行くと言うと機嫌が悪くなるんだ」
「機嫌が悪くなるってどうしてよ」庄助が訊いた。
「きつくなるなぁ」
「どんな風に」
「まあ、うまくいえねえけど話し方とか態度が・・・」
「なんでだ」庄助は、すきっ腹に酒をいれたせいか酔いのまわりが早く更に声が大きくなった。
「よくはわからねえ」
「お前も歳だから一人で旅さ出すのが危ねえからでねえか」
菊婆さんが言った。
「草間市ぐれえだらまだ大丈夫だ。毎年一年に一回軍隊時代の仲間が集まる会にでるが結構俺よりも年上の者がきている。俺なぞは若いほうだ」
「まあ、心配して言ってくれるんだ。ありがたいじゃねえか」
庄助がそう言いながらピーナッツをしきりに口に運んでいる。
「だからって、母さんのところへ行かねえことにならないべぇ。
なあ、佐枝さん」
「歩けるんだもの。バスに乗ったら終点は草間市だし、それにまだ七六歳でしょ。爺ちゃんだったら大丈夫よ」
「そうだ。吉爺、大丈夫だ。」庄助が力を入れていった。
菊婆さんは、吉次の様子に一つ気になるところがあった。

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