本当は、寂しいよー(115) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

倫子は、受話器を力任せに置いた。ガシャンという衝撃音が家中に響いた。腹の虫が治まらなかった。
「馬鹿野郎ってんだ。姉妹二人の前に預金通帳を出せって。親の面倒も看ないくせに何をぬかす」
定男の言葉が耳から離れなかった。
それに十年間の預金通帳を見せろと言った。これにも倫子は腹が立った。自分を疑いの目で見ている。
「婆ちゃんと爺ちゃんの世話をしたのは、わしだ。幾ら姉妹だって、こっちが全て貰う権利がある。二人の面倒も看ないで財産をくれとよくも言えたもんだよ。全く、笑っちゃうよ」
倫子は、額に皺を寄せ鋭い目つきをしながら台所へ行き食器棚の前に立った。一番下の観音開きの戸を乱暴に開き酒の入った一升瓶を取り出した。コップに半分ほど注ぎそれを一気に飲み干した。
「ふざけやがって」よほど腹が立ったのか、一升瓶を左手に、右手には酒の入ったコップを持ちぶつぶつ独り言を言いながら仏壇の前に座った。
「杏子の馬鹿がさ。金が欲しってさ。欲たかりが」倫子は、光一に話し掛けた。
否応なしに母の遺骨が目に入る。何故か遺骨が大きく見える。自分の前に迫ってくるようだ。
「あんた、やっと終わったね。婆さん、そっちへ行ったからさ、早く冥途に連れて行ってよ」
光一の写真に向かって話し掛けているがどうしても吉次の顔写真が目に入る。
「爺ちゃん、婆ちゃんがそっちへ行ったよ。迎えに来てやんな。迷ったら可哀想だからさ。分かった」
倫子はそう言って吉次の写真を裏返した。すると張りつめていた緊張感が如何いう訳か体から自然に抜けていくのが分かった。そのまま、その場にへたり込んだ。胡坐をかき左側に一升瓶を置き右手にコップを持ち酒を口に運んでいる。
光一の遺影を見ながら
「みんな・・・そっちに行っちまったよ。わし一人りだ。なあに一つも寂しくねえ。あんたがいるからさ」倫子の両目から大粒の涙が頬をつたい流れ落ちた。
「金は、あるからさ。心配いらね。一人りでも食っていけるから。かね、かね、かね。人間って馬鹿だね。こんな紙切れに振り回されてさ」
倫子が、珠子の遺骨が乗った経台の脇に置いてある香典袋を左手に持って光一の写真に振って見せた。優しい眼差しで微笑んだ光一の上半身の写真が倫子に微笑みかけていた。脇に置いた箱に手を伸ばし鷲掴みにテイッシュペーパーを引き出し、それで鼻をかんだ。
コップ酒に口を付けた。口いっぱいに含み飲み込んだ。
「今日の酒は、旨いよ。あんたがいたら焼肉だね。懐かしいね。あの頃が。毎日焼肉だったもんね。子供たちも一緒になって良く喰ったね。あのころは、あんたも元気でね。あんたの顔が見えるよ。・・・馬鹿だよ。本当に馬鹿だよ。あんたって人は。・・・冬道に酒を飲んで車を運転するなんてさ。・・・大馬鹿だよ。生きてりや・・・何ぼでもいいことがあるのにさ・・・」
倫子が涙に咽んでいる。気持ちの高ぶりを抑えることが出来なかった。
空き腹に酒を入れた。いつもより酒の回りが早い。腹が空いてきた。台所までよろけながら歩き魚の干物を手当たり次第に手に持って仏壇の前に座り直した。
「さあ、あんた、わしと一杯やるべし」倫子は、そう言いながら湯呑茶碗に酒を注いだ。
「さあ、飲んで・・・」
湯呑茶碗を仏壇の前棚に置いた。
倫子が、またコップ酒を口に含み飲み込んだ。するめの入った袋を破き中から一枚取り出し足に嚙り付いた。なかなか噛みきれない。
「あんた、わしはね。本当は、寂しいよ。・・・人間ってさ、寂しいもんだね・・・特に一人でいるってことは。・・・こんなにも寂しいもんだとは思わなかったよ」
倫子は、身に染みたのか感慨深げに言った。
「わしのどこが悪いんだろうね。みんなわしから離れて行くよ。金をやると来るのかね。
人は、みんなずるいね。自分が得することなら尻尾を振って付いてくるが、少しでも損すると思うと、みんな逃げていってしまう。汚いね。人間って奴は。欲張りでずる賢くて、人を騙すのが上手だね」
コップに酒を注いだ。煮干しを一本摘み口に放り込んだ。それをボリボリ噛んだ。塩辛い味が口の中に広がった。口の中は、噛み砕いた煮干しが唾液を吸い込み乾いた。酒を含み口の中で二度ほど遊ばせた。口の中に挟まっていた煮干しが口の中で泳いだ。それを飲み込んだ。また一本口に放り込んだ。少しの間煮干しを噛み砕いていた。光一の写真をじっと見詰めていた。それから酒を口に含み飲み込んだ。
「あんたをさ。死なせたのはわしだね。本当は、わしが悪いんだよね」
倫子の目から涙が流れ落ちた。

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