溝鼠ー24 認知症ならどうするのさ [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

モトは、この日、風邪気味で買い物に出ることが出来なかった。それで、勝子に食事を頼んだ。
右足が悪いので二丁ほど先の病院へは、タクシーを使って行く。近いところは、杖を突きながら出掛ける。A銀行は、三丁ほど先にあったが、最近、家の近くに同じ銀行の支店が出来たのでそこへ歩いて出かける。

道男は、ジャンボソーセージを洋辛子の入った醤油につけ口に入れた。ピリリとする辛さが口の中に広がった。あまりの辛さに一瞬吐き出そうとしたが目の前の酒に手を伸ばしそれを一気に飲んだ。
「おお・・・、辛いや」
道男が目を細めた。勝子が醤油の入った小皿に洋辛子を大目に入れすぎたのだ。
頭の芯までその辛さが伝わり少し酔いかけた酒がどこかへ吹っ飛んだ。
勝子が道男の皿の上のジャンボソセージの端を少し箸で割って口に入れた。
「本当だわ。ソーセージだけで十分辛いわ」
勝子は、焼酎の水割りを一口飲んだ。
道男は、思った。
「俺は、今年、定年退職したが奴も既に退職しているはずだ」と。それなら、婆さんに電話の一本ぐらい入れてもよさそうなものだ。それが全くない。婆さんとは、縁を切ったのか。
そんなことを考えていると酒を幾ら飲んでも酔えなかった。いつもなら酒を飲むと一時間もしないうちにソフアーに横になり鼾を掻いて寝込んでしまうが今日は、しきりに酒を口に運んでいる。勝子がその様子を見て
「お父さん、今日は、酒が嫌に進むね。どうしたのさ」
「今日の酒は旨いんだ。それより蕎麦はできたか」
「うん、も少しで茹で上がるわ」
勝子がガスレンジの火を加減している。
「狐か、狸か・・・」
道男がそう訊いた。
「うん、昨日の残り物だけど、ごぼうと人参で揚げた天ぷらがあったからそれを入れるわ」
道男は、何も言わなかった。
少しして蕎麦が出来上がった。
道男が蕎麦をお盆に載せ階段を上り始めた。両手でお盆を持って体は右側の壁につけ擦りながら一段、また一段とおぼつかない足取りで上がった。一時は正気に戻ったように思えたが、あくまでも一過性のものだ。アルコールは、間違いなく血液に入り込み体の隅々まで回っている。
「婆さん、持ってきたぞ」大きな声でいった。
道男は、お盆の上に載せた蕎麦のどんぶりを左手に持って危なかしい体でドアをあけた。
「てんぷら蕎麦だ」
「ああ、ありがとう。済まないね。やっぱりお前だね」
モトは、背を丸め卓袱台の傍に座っていた。道男に合掌した。
「婆さん、俺は仏じゃねえ。手を合わせるな」
モトは、何か階下のものに頼み事をすると決まって合掌する。
モトは、感謝の気持ちで手を合わせるのだが、道男は、気に喰わなかった。
「ま、いいから食えよ」
モトの顔がほころびた。
道男は、蕎麦をテーブルの上に置き、酔った足取りで仏壇の前に行きおリンを一つ叩いた。薄暗い部屋の中で鈍い音を出しておリンは鳴った。
道男は、真面目な顔で手を合わせ南無阿弥陀仏と唱えた。
「お父さんに、ありがとうと言っといて」
モトは、蕎麦を一本箸で摘み口に入れた。
「どうだ。旨いか」
道男が卓袱台の傍に屈み込みモトの顔を覗き込んだ。
「ああ、ありがたいことだよ。一人なら何にも出来ないから」
道男は、満足げに笑った。
「大丈夫だ。俺がいるから心配するな。な、婆さん、買い物に行き時は、声を掛けろ。連れて行くぞ」
「ありがとう、すまないね」
モトが箸を持ったまま道男に手を合わせ何度も頭を下げた。
「それを辞めろよ。息子じゃねえか」
それでもモトは、何度も頭を下げた。
階下に戻ると道男が飲み直しだといって酒をコップに注ぎ飲み始めた。

道男は飲みながらモトも87歳になったのかと思った。定年後に初めてモトの歳を考えた。
台所に立っていた勝子がいった。
「婆ちゃん食べてた」
「ああ、喰ってた」
勝子が、道男の前に座り真面目な顔で
「婆ちゃん、認知症にでもなったらどうするの」
道男は、一瞬ドキリとした。少し考えていたが
「一度病院で診てもらうか」
「認知症ならどうするのさ」
勝子が道男の顔を上目遣いで見た。
道男は、何もいわずに酒を口に運んだ。
「お兄さんと相談したらどうなの」
それでも道男は、答えずに酒を飲んでいる。
「まあ、俺に任せておけ」
「家で看るたってこの家じゃ難しいしょ」
勝子が反対していることは有りありである。

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