現代小説ー灯篭花ほおずき) ブログトップ
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金糸銀糸のカバーに覆われた骨壺がー(107) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

倫子は、ニコリともしない。目は、どこか遠くの方を見ているようだ。こういう目をするときは、いつもきまって何か魂胆がある時だ。和夫は、それを知っていた。
「そんな難しい顔しないでよ。すべて終わったんだ。さあ、精進落としだ。飲むべ。それとも何んか心配事でもあるのか。」和夫が倫子のコップに酒を注ぎながら、そっと顔色を窺った。
「何も無いよ」
電灯が点いていない薄暗い仏間に金糸銀糸のカバーに覆われた骨壺の箱が居間から入って來る蛍光灯の光に反射して鈍い色を発していた。仏壇には、線香も蝋燭にも火が点っていなかった。
叔母が普段着に着替えて二階から降りてきた。
「倫ちゃん。着替えたらどうかね」
倫子は、フォーマルスーツである。
「いいの、いいの、どっちみちクリーニングに出すから」
和夫は既に上着を脱ぎワイシャツ姿であった。
叔母が仏壇の前に行き骨壺の箱を経台の上に置いた。それから蝋燭に火を点けその炎で線香にも火を点けた。薄暗かった部屋が薄らと明るくなった。
「叔母さん。わしがするからその辺を勝手にいじらないでよ」
叔母は、姉が、今し方、真っ赤な溶岩流から這い上がり一息ついたところだと思った。さぞかし冷たい水を浴びるほど飲みたかろうと思い台所へ行きコップに水道水を溢れるほど入れて持って来た。
「何するのさ」
「冷たい水の一杯でも飲みたいだろうと思ってさ」
叔母は、その水を盆に載せたまま畳の上に置いた。
「盆の底、水で塗れてねえか。そのまま置いたら畳が傷むべさ」
「大丈夫だよ。綺麗に水は拭き取ったから」
先ほど倫子は、冷蔵庫からきんぴらごぼうを出した時に冷蔵庫に入れて置いたポリ袋入りの茄子を出してキッチン台の上に置いた。それが暖かい外気に触れ冷やされたポリ袋の表面から水滴が流れ落ちステンレス台が汚れているはずだと倫子は思った。
叔母は、遺骨の前に座り凛を一つ叩き両手を合わせた。それからゆっくりと立ち上がり座っていた座布団を持って和夫の横に座った。
「火、消したか」
「もう少し付けて置くさ。姉さん、明かりがないと、冥途へ繋がる道を探すことが出来ないだろうさ。爺ちゃんに合えるかどうかの瀬戸際だよ。少しでも明るいと、歩く方向が分かり目的地に向かうことが出来るだろうから」
倫子が冷やかな笑みを浮かべた。
「ところで、園ちゃんの顔を見ないけど、どうしたのさ」
倫子と和夫の二人が互いに顔を見合わせた。
「ああ、園子かい、滅多にないことに、東京へ技術研修で一週間ほど行ったんだってさ。運悪くぶつかちまってさ、あの子も可哀想に」倫子が、咄嗟に思いついたことだ。
「そうかい、それは、気の毒に」
叔母が和夫の顔を覗き込んだ。和夫は、それに気づき慌てて大きく頷いた。
「姉さんには、友達が沢山いたっしょ。それにしては集まらなかったね。」
姉の珠子は、若いころから話し上手なのか珠子の回りには、いつも友達が集まって来た。それを叔母が覚えていた。
「ああ、婆ちゃんも年だし、友達も死んでしまってほとんどいなくなったべさ、それに長いこと施設に入っていたから、尚更だべさ」
「そうかい」
「ところで、叔母さん、腹空いてないかい。」倫子が立ち上がり玄関の上り框に置いてあつたダンボール箱を抱えてきた
「なんだ、それ」和夫が手伝おうと腰を上げると
「大丈夫だ。一人で出来る」
そういってそのダンボール箱を二人の目の前に置き蓋を開いた。繰り上げ法要で残った仕出し料理の余りものである。
「もったいねえべさ。だから持って来たよ。喰わないかい」
「わしは、さっき、食べたから十分だ」
和夫が箱に手を入れOPS容器に入った料理を選んでいる。かしゃかしゃと音がする。
箱から和夫は、煮物の詰め合わせを出しサトイモに箸をつけながら
「握り飯がないのか」
「あるものを黙って食べなよ」
和夫は、サトイモを口に頬張りながら
「そうだ金蔵さん、今日、顔を出さねえな。どうしたんだべ」
和夫が、さりげなく倫子の顔を見た。
「忙しんだべさ」
いつもと違って素っ気ない返事であった。
和夫は、倫子のその態度が気になった。
「母さんの友達も少なかったなあ」
「そうかね」
実は、倫子もそう思った。友人知人が集まらなかった。葬儀場で見た顔を思い出してみた。
吉次や光一の時には、仲間が大勢弔問に来たが、この度は少なかった。
「世間様は、薄情なもんだ」
「何か遣らかしたのか」

いつ俺が金の話しをしたんだよー(106) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「叔母さんをこれから草間まで帰すなんて、少し酷じゃねえか。一晩、泊まってもらってさ。何なら二、三日居て貰って、婆さんの遺品の整理でも手伝ってもらったらどうだべ。助かるべや」
珠子の一番下の妹である。見た目は、元気そうだが喘息持ちである。季節の変わり目には苦しんでいる。3か月ごとに病院へ行き5種類ほどの薬を貰って服用している。その他にも何か病気を抱えているらしい。
叔母は、來るときは、バスで来た。喪服は倫子の友達が美容室を開いている。そこから借りたものだ。
倫子が叔母に訊いた。
「誰も一緒に帰ってくれる人いなかったのかい」
長浜市まで帰る従兄妹達は多いが草間市までとなると少なくなる。
「草間までだからね。ここから2時間40分は掛かるだろうさ」
「杏子達の車どうしたのさ」
「杏ちゃんの所は、4人だろう。乗れないよ」
叔母は、申し訳なさそうに言った
「澄子は、若いんだからバスで帰れたべさ」
澄子は、気の利かない子だと言わんばかりである。
それを聞いた叔母は、とんでもないと言った顔つきで右の手首を自分の顏の前で何度も振りながら。
「そうはいかないよ。澄子さんに迷惑を掛けるよ。それなら、私がバスで帰ったよ」
倫子は、仕方がないといった様子である。
「和夫は、帰りなさいよ」と声高に倫子が言った。
「なんでよ。4日間の休暇を貰ったんだ。急いで帰ることもないべや」
和夫は、口を尖らせむくれ顔で倫子に食って掛かった。
倫子は、どうあろうとも和夫を今日中に帰らせたかった。
しかし、寺でこんな話をしていても仕方がない。一先ずここは引き上げることにした。
3人は、和夫の車で家に戻った。叔母は、喪服から普段着に着替えるために2階に上がった。
和夫は、明後日まで休暇を取ってある。これには、考えがあっての事だ。叔母を引きとめたのも和夫である。
和夫は、倫子に告別式が終わったら直ぐに帰るようにと言われていた。折角、休暇を貰って来た。久しぶりの実家である。倫子との積もる話もあった。倫子には、和夫との話など何もなかった。和夫が言い出す話は。どうせ金の話しだと分かっていた。
倫子が言った。
「金の話は、無しだよ」倫子が先に釘を刺した。
和夫は、口を尖らせ反射的に出た言葉だ。
「いつ俺が金の話しをしたんだよ」
そう言ってから和夫は倫子に見透かされていると思った。ここは慎重に話を進めなければ勝ち目がないと思った。

「お前の顔に書いてあるよ」
倫子が、和夫をぎょろりとみた。和夫は、その目を見て一瞬怯んだ。しかし、ここで怖気つくと母が言ったことを認めたことになる。和夫は、平静を装い母の顔を見ないようにしながら
「何って書いてあるのよ」と穏やかな声で言い返すのが精一杯だった。
「金くれってさ。これ以上、お前にやる金などないよ。これまでどれだけお前に金を使ったか。覚えているだろう」
和夫が笑った。その顔は、引き攣っていた。
和夫は、学生時代に3歳年下の女性と交際したことがある。交際して間もなく、女は、妊娠した。和夫が知った時には既に二カ月になっていた。
いくら合意の上とはいえ女を傷ものにしたことには変わりはない。光一と倫子は、先方に出向き両親に頭を下げた。男女合意の上での不始末とはいえ責任の重さは和夫の方が大きい。その謝罪の意を込めて150万円支払った。
倫子は、和夫の尻拭いはもう沢山だと思った。すでに社会人である。自分の不始末は自分で始末してくれないと困る。
「それよりも葬儀屋の清算をしなければならないべや」
和夫は、何も今更古い話など持ち出さなくてもいいだろうと思った。自分に降りかかる火の粉から早めに逃げ出さなければと思った。矛先を変えようと思った。
「何もお前が心配することないべさ」
葬儀に掛かった明細書や香典などは、葬儀屋から借りた金庫の中に仕舞い手元から離さなかった。
「お前が帰ったら、わしが一人でやるから心配しなくたっていいよ」
和夫は、このままでは話が前に進まないと思い、台所へ行き一升瓶を抱え鎌倉彫の盆皿に二個のコップを乗せて持って来た。
「何か喰うものないか。腹が減ったよ」
居間の真ん中に一升瓶を置き二つのコップのうち一つのコップに酒を並々と注いだ。
「飲むかい。母さん」
倫子が和夫の顔を繁々と見ながら
「少し貰おうか」和夫がもう一つのコップに三分の二ほど酒を注いだ。
倫子は、以前より酒の腕は上がっていた。倫子は台所へ行き冷蔵庫に入っていたきんぴらごぼうの入ったどんぶりを持って来た。
それを一升瓶の横に置いた。
和夫は、並々と注いだ酒がコップから零れないように、そっと持ち口をコップに近づけ美味そうに酒を啜った。
「やっぱり日本酒がうめえや」
それを見ていた倫子が
「お前、ずいぶん美味そうに飲むんでないかい。酒ばかり飲んでるから前より強くなったべさ」
倫子も座るなりコップに口を付けた。
「うめえだろう」和夫が言った。

和夫は慌てて大きく頷いたー(105) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「叔母さんも歳だし、これから帰すなんて、少し酷じゃねえか。一晩、泊まってもらってさ。何なら二、三日居て貰って、婆さんの遺品の整理でも手伝ってもらったらどうだべ。助かるべや」
珠子の一番下の妹である。80歳だ。見かけは、元気そうだが喘息持ちである。季節の変わり目などには苦しんでいた。3か月ごとに病院へ行き5種類ほどの薬を貰って服用している。決して元気な体とは言えない。
倫子が叔母に訊いた。
「誰も送ってくれなかったのかい」
長浜市までなら住んでいる従兄妹達も多いが草間市までとなると少なくなる。
「草間市までだからね。ここから2時間40分は掛かるだろうさ」
「杏子達の車どうしたのさ」
「杏ちゃんの所は、4人だろう。乗れないんだよ」
叔母が、申し訳なさそうにいった
「澄子一人ぐらいバスで帰ったって良いべさ」
「そうはいかないよ。澄子さんが可哀想だよ。それなら、私はバスで帰るよ」。
倫子は、仕方がないといった様子で
「和夫は、帰りなさいよ」と声高にいった。
「なんでよ。4日間の休暇を貰ったんだ。急いで帰ることもないべや」
倫子が兎に角、和夫を帰らせたかった。
和夫の車で3人は、家に戻った。叔母は、喪服から普段着に着替えるために2階に上がった。
和夫は、明後日まで休暇を取ってある。これは、考えてのことだ。和夫が、叔母を草間市まで送るからと言って留めたのだ。叔母を草間市まで送る事ができる甥っ子達は、なかなかいなかった。ほとんどが遠くても長浜市辺りでまでの所に住んでいた。和夫は、草間市まで行く必要などなかった。しかし、叔母を草間市まで送るということで実家に自分も泊まることが出来ると考えたからだ。最初に葬儀場で倫子に会った時に言われたことは、告別式が終わったら直ぐに帰るようにと言われていたからだ。倫子の考えていることを知りたかったことと倫子の持っている財産について確りと話を付けて置きたかったからだ。
倫子が突然和夫にいった。
「金の話は、無しだよ」倫子が先に釘を刺した。
和夫は、口を尖らせ
「いつ俺が金の話しをしたんだよ」
「お前の顔に書いてるよ」
倫子が、和夫をぎょろりとみた。和夫は、その目を見て一瞬怯んだ。しかし、ここで怖気つくと母が言ったことを認めることになる。和夫は、平静を装い母の顔を見ないでいった。
「何って書いてあるのよ」そう言い返すのが精一杯であった。
「金くれってさ。これ以上、お前にやる金などないよ。これまでどれだけお前に金を使ったか。覚えているだろう」
和夫が笑った。その笑った顔は、引き攣っていた。
和夫は、学生時代に3歳年下の女性と交際したことがる。交際して間もなく、女は、妊娠した。和夫がその話を聞いたときには二カ月になっていた。
いくら合意の上とはいえ女を傷ものにしたことに変わりはない。光一と倫子が先方に出向き両親に頭を下げた。色々な物を含めて慰謝料として150万円支払った。倫子は、和夫にこれ以上無心されるは沢山だと思った。すでに社会人である。自分で解決して貰わなければと思った。
「それよりも葬儀屋の清算をしなければならないべや」
和夫は、話題を変えようと思った。何も今更古い話を持ち出さなくてもいいだろうと思った。
「何もお前が心配することないべさ」
葬儀に掛かった明細書や香典などは、葬儀屋から借りた金庫の中に一緒に仕舞い確りと鍵を掛け手元から離さなかった。
「お前が帰った後で、わしが一人でやるから心配しなくっていいよ」
和夫が台所へ行き一升瓶を抱え鎌倉彫の盆皿に二個のコップを乗せて持って来た。
「何んか喰うものないか。腹が減ったよ」
居間の真ん中に一升瓶を置き二つのコップのうち自分のコップに並々と酒を注いだ。
「飲むかい。母さん」
「少し貰おうか」和夫がもう一つのコップに三分の二ほど酒を注いだ。
倫子は、以前よりも酒の腕を上げた。倫子は台所へ行き冷蔵庫に入っていたきんぴらとごぼうの炒め物の入ったどんぶりを持って来た。
それを一升瓶の横に置いた。
和夫は、なみなみと注いだ酒がコップから零れないように、そっと持ち口をコップに近づけ美味そうに酒を啜った。
「やっぱり日本酒がうめえや」
それを見ていた倫子が
「お前、ずいぶん美味そうに飲むじゃないの。酒が強くなったようだね」
倫子も座るなりコップに口を付けた。
「うめえだろう」和夫が言った。
倫子はニコリともしないで難しい顔をしていた。こういう顔をするときは、いつも何か魂胆がある時だ。和夫は、それを知りたかった。
「そんな難しい顔しないでさ。飲むべ。すべて終わったんだ。精進落としだ。それとも何んか心配事でもあるのか。」
電灯も点いていない薄暗い仏間に珠子の遺骨がポツンと置かれてあった。仏壇には、線香も蝋燭にも火が点っていなかった。
「お前は、心配しなくていいよ」
叔母が二階から普段着に着替えて降りてきた。
「倫ちゃん。着替えたらどうかね」
倫子は、フォーマルスーツである。
「いいの、どっちみちクリーニングに出すから」
和夫が、上着を脱ぎワイシャツ姿になった。
「ところでさ、園ちゃんの顔を見なかったけど、どうしたんだい」
叔母が二人の前に座布団を持ち出して座った。
倫子と和夫の二人が互いに顔を見合わせた。
「ああ、園子かい、滅多にないんだけどさ、東京へ技術研修で一週間ほど行ったんだよ。運悪くぶつかちまってさ、あの子も可哀想に」倫子が、咄嗟に思いついたことだ。
「それは、気の毒に」叔母が和夫の顔を見た。和夫は、慌てて大きく頷いた。

和夫が今日中に帰ってくれないと困ることがあったー(104) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「園ちゃん、どうしたのかしら」
杏子は、倫子の事だ、余計なことを言って親子喧嘩でもしたのではと思った。
「金蔵さんがいたわよ。倫子叔母さんから少し離れたところに」
澄子の言葉を杏子は、頷きながら聞いていた。
光一が亡くなった時には、倫子の傍に寄り添っていたが、この度の葬儀は、母親の珠子である。それで倫子から少し離れて座ったのだろう。
園子は、通夜には出たが、、親戚縁者の席の最後尾の座席に腰を下ろした。終わると最終便のバスで帰って行った。香典帳には一万円と記入してあった。名前は鈴木園子になっていた。
園子は、金蔵とは会う必要はないと思った。会ったとしても金蔵に気まずい思いをさせるだけだ。和夫の話しで母の気持ちが分かった。金蔵も恐らく母に断られ言いづらいのだと思った。
金蔵は、通夜が始まるまで園子を探したが見つけることが出来なかった。会って一言詫びようと思っていたがそれが出来なかった。園子を見かけたのは唯一、澄子だけであつた。園子の名前での供花も盛り物も一切無かった。親戚縁者は、不思議に思った。祭壇には、倫子と和夫の供花が一番先に飾ってあった。
その次に杏子と定男の二人の供花が並んであった。
「園子さん、何となく寂しそうだったわよ」
澄子は、園子の後姿が強く印象に残っていた。
車は、墓地に付いた。菩提寺からそう離れていなかった。杏子は、途中で買ったお供え花を持って車を降りると、墓には既に花が添えられてあつた。
「誰か来たんだね」
「園ちゃんじゃない」
経台の上に乗っていた供物を見て澄子が言った。
「どうしてわかるの」
「この供物、見てごらん。新しいもの。それにこの包装紙、草間市のデバ―とのものだわ」
経台の上に透明のOPS容器に入った大福が2個乗っていた。
「大福は、お爺ちゃんの大好物なの。やっぱり、園ちゃんだわ」
杏子がその大福の入った包み紙を見ていた。
「そういえば、通夜の時にお爺ちゃんの古くからの友達が来ていたわよ。あの髭のお爺ちゃん、名前何って言ったけ」
杏子は髭と聞いて直ぐに分かった。
「葛西さん、お爺ちゃんは、庄助って言っていたわよ」
杏子は、思った。父は生前「庄助、庄助」と葛西の叔父さんを可愛がっていたことを。二人は家の裏の物置小屋に籠り父が仕掛け作りを庄助から教わっていたことを。天気の良い日などは、二人は、自転車で港へ釣りに出掛け夕方ころまで帰ってこなかったことを。帰りが遅いので心配していると近くの居酒屋で一杯引っ掻けて帰って来たことがあったことなどを。それでなければ温泉である。いつも二人は一緒であった。母の珠子は、二人の後姿をいつも玄関先から見送っていたものだ。そのことが思い出された。
「わざわざ、来てくれたんだね」
身内の者が誰も庄助に会えなかったことが残念だった。
「そのお爺ちゃん、杖をついていたわよ」
この間、病院で会った時にも杖をついていた。その姿を思い出した。
「直ぐ教えてくれたら良かったのに」
庄助とは、約束したことがる。父が生前親しくしてくれた人たちに一度会いたいと言ったのは杏子の方からである。庄助から電話が入る予定だが未だ来ていない。恐らく、3人とも高齢である。会うことは、難しいのかも知れないと思った。
「御免、言いそびれてしまって」
「声を掛けたの」
「いや、名前を思いだそうと思っているうちに通夜が始まったでしょ」
「仕方がないわね」
「葛西さんの電話番号分からないのか」定男が言った。
「教えてもらったけど覚えていないわよ」
「電話帳で探したらどうだ」
杏子は、電話帳で探すこともないと思った。庄助にも他の2人にもいろいろと都合があるだろうと思ったからだ。
その日は、会わずに帰って来た。

告別式も無事に終わり寺には、倫子と和夫それに草間市内に住んでいる珠子の妹の3人になった。叔母を和夫が送り届けることになっている。
「ご苦労さん、和夫、あんた明日から仕事だべさ。遅くならないうちに早めに帰ったほうがいいべさ」
「俺さ、休暇を4日貰ったんだ。だから今日帰らなくても良いんだ。家に戻って少し手伝うよ」
「手伝って、何もないよ」
「葬儀屋との清算があるべや」和夫の目が光った。
「ああ、それは、わしがするからいいよ」倫子はこともなげに言った。
倫子は、和夫が今日中に帰ってくれないと困ることがあった。

固定電話が鳴ったー(103) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

ローチェストの上に置いた固定電話が鳴った。倫子であった。定男が長椅子に横になっていた。
「婆さん、今亡くなったから」声の調子がいつもより高くどこか晴れ晴れとしていた。
杏子は、覚悟はしていた。そのせいか吉次の時と違い驚きはしなかった。
「そう、明日、一番でそっちへ行くから」
それだけ言って電話を切った。
電話の声の様子で定男は察したのか
「婆さん、亡くなったったのか」と言って長椅子から起き上がった。
杏子が頷いた。
「今か・・・」
「そうだって」杏子は、あっさりとしていた。二人の間には、それ以上の会話は無かった。
杏子は、二階へ上がり明日の支度に掛かった。支度と言っても、既に今日あることを思って前から準備はしていた。その持参する物の再確認である。
母の顔が浮かんだ。心筋梗塞に脳梗塞。助からないとまで言われた命が助かった。母自身にとつては、助かったのが良かったのかどうか分からない。しかし、86歳まで命を永らえることが出来たことは、杏子にとっては幸福だった。どうあろうとも母である。自分を生み育ててくれた人である。満足に親孝行も出来なかったが母は逝ってしまった。杏子は、父の吉次が亡くなった時よりも悲しかった。押し入れから旅行鞄を取りだし支度に取りかかった。喪服を取りだしきちんと折りたたんだその喪服を見ているうちに涙が込み上げてきた。喪服の畳み方を教えてくれたのは母である。畳んである喪服を開きながら母が教えてくれた時のことを思い出し胸に込み上げてくるものがあった。やはり母である。杏子は、袖口で涙をそっと拭き旅行鞄に必要なものを入れ始めた。暫く二階にいた。押し入れに首を突っ込み中の方へ手を入れごそごそと何かを探していた。ダンボール箱からそれを取り出し懐かしそうに手に取り手触りを味わっていた。母が手縫いで作った化粧ポーチである。杏子が高校を卒業するときに母が作ってくれたものだ。その感触に振れながら母の当時の顔を思い出していた。あれから50数年経った。私にも娘の澄子がいる。それを思うと涙がまた込み上げてきた。
杏子はそのポーチを旅行鞄にそっと入れた。
杏子が二階から階下の定男に声を掛けた。
「お父さん、澄子と定幸に連絡してくれた」
階下から「連絡したよ」との返事があった。
杏子は、二階の窓から外を眺めていた。
人は、天命が尽きるまで生き永らえなければならない。母は、最後まで戦い抜いた。さぞかし苦しかったであろうが戦いに勝ったのだ。だから、この世に母は悔いが残らない筈だ。彼の世があるとすならば、必ず、そこで幸福に過ごせるだろうと思った。それに反して父の吉次は、最後まで「金を取られる」と叫び続けて死んでいった。認知症には、物摂られ妄想があるが、吉次が、「金を取られる」との言葉を出し始めたのはまだアルツハイマー型の症状が出る前である。それが、今でも杏子には悔やまれてならなかった。

翌朝、杏子と定男は、一番のバスに乗り途中で乗り換え華林町へ向かった。途中、草間市のバス停から澄子が乗った。定幸は、相変わらず忙しいのか何とか通夜に間にあった。
倫子は、吉次と光一の二人を先に送り葬儀の段取りには慣れたもので手際よく葬儀屋に指示をしていた。杏子達が、寺に着くと、葬儀の規模は、吉次の時と同じようなものであった。既に花輪や供物が飾られてあった。
杏子は、祭壇を見て何もこんなに大袈裟なものにしなくても家族葬で十分だと思った。
田舎には田舎の仕来りがある。倫子のしたいようにさせておいた。下手に口を挟むと何を言いだすか分からない。通夜が始まるまでに親戚縁者が集まって来た。相変わらず従妹同士が多いが吉次の葬儀の時ほど集まらなかった。母の友達は既に亡くなった人も多い。それに高齢で出席もままならずその数は少なかった。通夜も告別式も無事に済んだ。告別式が終わると親戚縁者は、潮が引くように去って行った。定男が言った。
「このまま寺から帰るか・・・」
定男が眉間に皺を寄せ実家に寄りたくないそぶりを示した。
杏子も実家に寄ると倫子がまたややこしい話しを持ち出し嫌な気分で帰らなけらばならないかと思うとこのまま真っ直ぐに帰った方が無難だと思った。
「帰ると一言いってこいよ」定男は、早くこの場から去りたかった。
「澄子、叔母さんに帰りますって話して来いよ」
定幸が車で来ていた。一人だった。帰りは、3人が乗って帰れる。
「私が・・・」澄子は、顔を顰めた。澄子も倫子を嫌っていた。仕方がないと言った顔で部屋を出て行った。
間もなく澄子が香典返しを持って戻ってきた。
「これ持って行きなさいって」
箱詰めのロールカステラーの入った袋を4個持って来た。
「帰るぞ」定男が腰を上げた。この場から一刻も早く退散したかった。
「ここを出る前に、お爺ちゃんの墓へ行くわよ」
杏子が定幸に言った。
車の中で杏子が訊いた。
「園ちゃんの姿を誰か見た」
助手席に座っている澄子が軽く頷いた。
「和夫はいたが園子の姿は見なかったな」定男もそう思っていた。
「叔母さんにぴったりついて指示通りに動いていたよ」定幸がハンドルを握りながら言った。
定幸の後ろの座先に座っていた杏子が澄子に訊いた。
「あんた見たの」
「遅れて来たらしいの。私、トイレから出てきた時に受付で園ちゃんの姿を見たわよ」
「でも可笑しいわね。倫子の隣に座っていなかったんじゃない」杏子は、二人の間に何かあったと思った。
「園ちゃんの供花がなかったわね。誰か見た」
「そうだな」定男も、杏子の顔をちらりと見ながらこれは何かありそうだと思った。
「告別式の時も、骨上げの時にもいなかったね」定幸が言った。
杏子も定男も定幸に言われて気が付いた。親戚の者に気を取られ気が付かなかったが、言われてみたら園子の姿が見えなかったことに気が付いた。

金の事は、俺を通して話してくれー(102) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

土曜日であった。和夫がソファーに横になりスポーツ紙を広げ真剣な目で活字を追っていた。
その横で真理子がテレビを見ていた。
「明日、あるの」
「ああ・・・」気のない返事である。
「幾ら掛けるの」
「少し、黙っててくれないかな」
和夫は、煩いのか眉間に皺を寄せた。今日と明日は、重賞レースが続いている。
真理子は、和夫の顔をじっと見つめながら、この人の競馬好きは半端じゃない。病気同然だと思った。
和夫がソファーから起き上がりテーブルの上のコーヒーの入ったカップに手を伸ばし一口飲んだ。冷めていたのか不味そうな顔をした。和夫が、普段と違い昨日から難しい顔をしている。会社で何かあったのかと真理子は思った。
和夫は、テーブルに置いてある携帯電話を取りボタンを押している。
「ああ、俺だけどさ。お前、お袋に金くれって言ったのか」和夫の目が鋭く光った。
電話の相手は姉の園子である。
「お金をくれって・・・」
園子は何のことか分からなかった。そんなこと直接母に話したことなどない。
「ああ」
「誰が言ったの。そんなこと」
園子の話しの様子では、本当らしい。
「お袋から電話があってよ、一千万くれって言ったそうじゃないか」
園子は、金蔵の顔が浮かんだ。金蔵からあれ以来何の音沙汰もない。和夫の話しで金蔵があの件を母に話しをしたことを知ったのだ。
「ああ、その話ね。貸してほしいと言ったけどさ。くれとは言ってないよ」
「お袋は、お前が一千万くれと言ったと話しているそ」
「それには、きちんと借用証書を書いて渡すつもりでいたよ」
園子は、母がなぜこの話を和夫に話したのかむかついた。
「何に使うんだ。一千万は大金だぞ」
「私が借りるんじゃないの。知っている人に頼まれたの」
「知っている人・・・」
和夫は、園子が同棲していることを知っていた。
「ああ、例の男か・・・」
「そう、会社を立ち上げるんで、その資金をお願したの」
「どういう会社よ」
「ソフトの会社」園子は、そこまで言ってからこれ以上弟である和夫に余計な話をすることなどないと思った。
「お袋の金は、俺の金でもあるから勝手なことするなよな」
和夫の声は、荒々しいかつた。
「どうしてあんたのお金よ」思わず大きな声がでた。
園子も負けてはいられなかった。胸の鼓動が激しく波打つのが分かった。
「お袋が言ったよ。吉沢家の跡継ぎは俺だって。だからよ。墓を守るのは、当然俺だから」
「だから、すべてあんたの金かい」
園子は腹が立った。
金蔵は、一千万の話しを母にしてくれたのは確かだがその後の話がない。和夫が話していることが母の回答だと知った。
「これから、金の事は、俺を通して話しをしてくれよ。いいか、分かったか」
和夫はそう言って電話を切った。
真理子が一部始終和夫の傍で話を聞いていた。何を話しているのか察しがついた。
「あんたとお姉さんは兄弟でしょ」
「当たり前じゃないか」
「それなのに、どうしてあんなことを言うの」
「何を・・・」
「言ったじゃない。金の事は俺を通してくれって」
「あたり前だろう、お袋に頼まれたんだよ。だから園子に勝手にお袋の金を使われちゃ困るんだ」
真理子は、その後の言葉が出てこなかった。園子さんとお母さんとの間に何か問題でもあるのかと思った。和夫は、自分の家族のことについて、ほとんど話したがらなかった。
だから、普段の和夫の様子を見て、どのような家庭なのか自分なりに推察するほかなかった。
真理子は、和夫の母に早めに会って挨拶をしなければと思うが、和夫がなかなか首を立てに振らない。惚れたのは自分の方からだ。だから、和夫が言い出すまで黙って来た。心の中では早く合わせて欲しいと気が急くが和夫にくどくど責っ付くのも嫌だ。それで、これまでずるずると来てしまった。
和夫は、午後から場外馬券所へ出かけて行った。出掛ける時の和夫の顔が昨日からの厳しい顔が普段の顏に戻っていた。

園子は腹の虫が治まらなかった。紀夫は外出していた。母に直接電話をするか金蔵に電話を入れるか迷っていた。話の順序からいって、最初に金蔵に電話をして様子を聞いた上で母に電話を入れようと思った。

群れから離れるとその先には死がー(101) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「ああ、確かに寂しくなるな。歓楽街からネオンが消えっちまうと、わびしい町に見えるだろうな。若い奴は、この町の高校を卒業すると直ぐに都会へ出ていっちまう。なにせ働く場所がねえからなあ。仕方ないと言ったらそれまでの事だ。この町は、俺たちの故郷だ。このまま、ほったらかして置いたらこの故郷が無くなるべ。見過ごすわけにはいかねえよな」
彩のママが金蔵の右腕を軽く肘で小突いた。
「社長、何とかしてよ」
「俺一人じゃどうにもならねえ、それで、商店会の委員会でよ、この町の活性化について研究中だ」
「そうなの、頼むよ。私は、金はないけどさ。そのためなら皆で協力するから。」
彩のママは、飲食店組合の女性部の副部長をしている。
「それにしても町長も町会議員も、もう少し町づくりについて真剣に考えて貰わねえと。我々の税金で他県へ視察と称して、あちこちへ行ってるらしいがさっぱりだ。もうすこし確りしてくれねえと」
金蔵の顔が曇った。
「どこへ出かけているのさ」
「この町と似たような町で少しは町が活性化しているところだ」
「それにしては、この町は何も変わってないね」
「だからよ。何をやってるか分からねえんだ。町の広報で議会報告を読んだって、幼稚くせい」
「困ったものね。少しは、ましな町会議員っていないのかい」
「どうも選挙の時だけ口が達者な者ばかりだ」
「社長、町議選に出たら、そしたら応援するからさ」
「俺か・・・」
金蔵は腕組みをしながら笑みを浮かべ満足げな顔をした。
「特にこれといった産業がねえから若者は、外へ行っちまう。残るのは、年寄ばかりだ」
金蔵の話す言葉に力が入った。何となく自信ありげな言い方であった。
「難しいね」
「国は、施設から家での介護へ移行する方針を打ち出しているべさ。難しい問題だ」
「なぜさ。家で死ねるんだも。こんな幸福なことないべさ」
ユミが怪訝な顔をしている。
「在宅医や在宅看護師の不足だ。この町を見てみろ。人口の割には施設や病院が少ないべさ。当然、医者も看護師も少ない。どうする。ますます、少子化が進むと看護師の成り手がないべさ。東南アジアの方から優秀な看護師を連れて来るそうだが、これにも難しい面があるべな。何せ高齢者が多すぎる。しかし、この爺ちゃんや婆ちゃん達のお蔭で今の日本がある。これを忘れちゃならねえ。決して年寄を邪魔者扱いしちゃならねえ。感謝の気持ちを持って接するべきだ。これからは、独居老人が益々多くなるべさ。家族と同居しているなら何とかなりそうだが、これも介護する方が大変だ」
金蔵は、自分の事を重ね合わせていた。
「そういう人たちどうなるのさ」
彩のママは、タバコの吸う本数が多くなった。消したと思うと一分も経たないうちに次の煙草に火を点けている。
「先は分からねえが、今の施設や病院がやっているようなことを民間がサービス付有料老人ホームとしてあちこちに建てているべさ。それも都会なら出来るが田舎じゃ無理だべ」
「民間は、高いしょ」
彩のママがまた額に皺を寄せた。
「ああ、入居にするに、敷金だなんだかんだで相当掛かるってよ。月に安くて13万から20万は掛かるべや」
「すると金持ちは、入れるが貧乏人は入れないんだ」
「そうだべな、金を持ってねえと駄目だ」
金蔵は、倫子の事を思った。
「今は、病院で亡くなる人が多いっしょ。この間、86歳の婆ちゃんが亡くなったよ。その婆ちゃん、入院したてのころは、いつも家に帰りたいって言ってたよ。」
「そりゃ、家が一番だ。しかし、今は、8割方が病院や高齢者施設で亡くなってるそうだ。」
「ねえ、社長、認知症の人などは、どうなるの。特に徘徊する人を抱えている家族は」
彩のママは店に来る客が溢していたことを思い出した。
「自分の家で見る他ないべさ」
「寝たきりの人はどうなるのさ」
「病院は、寝たきりの人でもリハビリーはやってるよ。体が硬直してくるから。毎日欠かさず最低一回は、リハビリーしてるよ」
ユミが言った。
「ああ、身につまされるね。あたしは、家で死にたいね。徹、頼むよ」
傍で帰り支度をしていた先代のおかみさんが言った。
徹は、笑っていた。
「大丈夫だ。お袋は、この店で死ぬから」
「ああ、本当だ。爺ちゃんが汗水流して働いたこの場所で死ねるなら本望だよ。病院は、嫌だね」
彩のママは複雑な気持であった。
「なんだか寂しくなるね。こんな話をすると」
彩のママの顔が曇った。
「ユミちゃん、今日は、倫ちゃんと約束していなかったのか」
倫子が、店を出てからどこへ行ったのか金蔵は知りたかった。特に何もないが、ふとそう思った。
「私だってたまには自分一人で飲みたいよ。そうじゃないとストレスが溜まる一方だもの」
「倫ちゃんと飲むとストレスが溜まるのか」金蔵が訊いた。
「あの人も前のように少しは私の気持ちを考えてくれるなら良いけどさ。最近は、そうじゃないの。ちょっとしたことでも気に障るのか私に食って掛かるの」
「我儘だな」
「そのうち誰も相手にしてくれなくなるよ」
「年がいくしな」
動物の世界では、ほとんどの動物は、群れをつくり生活している。しかし、年老いて体が利かなくなると誰からも相手にされず自然と群れから去ることになる。群れから離れるとその先には死が待っている。金蔵は、ふとそう思った。

背中を丸め、ぞろぞろ街中をー(100) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「そうかな、俺は、そう思わないが、どう変わった」
金蔵も倫子は、変わったと心の中で思っていた。だが敢えて問い掛けた。。
「なんだか、やけになってるみたい。一緒に飲んでも必ず絡んでくるの」
ユミは、倫子と一緒に出掛ける事を避けていた。
「何かあったのかな」金蔵は惚けた。
「恐らく、仕事を辞めて寂しくなったんじゃない」
ユミが水割り焼酎入りのコップに口を付けた。
「なんで辞めたの」
金蔵は、倫子が病院を辞めたことを知らなかった。
「病院から辞めてくれって」
「なんでよ」
「良く休むのさ。それもその日になって電話してくるの。病院だって、看護師のスケジュールが立たないっしょ。婦長の苛立っている姿をみると倫ちゃんだと直ぐに分かるの」
「勝手に休むんだ」
彩のママが言った。
「社長、いつも会ってるのに分からなかったの」
ユミが金蔵に訊いた。
「そう頻繁に会ってるわけじゃないさ」
「でも、何か感づいていたしょう」
「仕事が嫌になったとは言ってたな」
「そうでしょ」
ユミの言葉に力が入っていた。
「うちの店に来ても、そんなところがあったね」
彩のママがユミに言った。
「倫ちゃん、仕事は、どうでもいいって、よく言ってたよ」
「いつからそんな事をいい出したんだ」
「ご主人が亡くなってからじゃないかな。病院でも言ってたもの」
「食えるからそんなこと言えるんだよ。私なんか年金も何もないから店を閉めたら、どうやって生活したらいいか。老後を考えると眠られない夜があるよ。もう、すでに婆だけどね」
彩のママは、寂しく笑った。
「社長、だから店に来てよ」
ママは左肘で金蔵の右腕をポンと突いた。
「でも、分かるよな気がする。倫ちゃんの気持ち」
ユミがカウンターの中の二代目にチラリと目をやりながら言った。
「倫ちゃん、悩んでいたもの」
「何を」金蔵は、自分の知らない倫子の本心を知りたかった。いとこ同士の中だが深くは知らなかった。
「自分が母親の面倒を看なければならないって。仕事はあるし、母親の介護をしなければならないし、それにこの間、ご主人が亡くなったしょ。そんなこんなで色々なことが重なりストレスが溜まり、それで嫌になったんじゃないの」
「そんなこと、世間じゃどこにでもある話だべさ。母親の介護だって、介護施設か病院に預けぱなしだし、昔から比べたら負担になることなど何もねえべ」金蔵が言った。
「本来なら姉が母親の面倒を看なければならないのに、お姉さんは、親の面倒を看ないと言ったらしいの。それで自分が看なければならないって。倫ちゃん怒ってたよ」
金蔵は、ユミの方に体を向けユミに訊いた。
「そんこと本当に言ったのか」金蔵の声が少し大きかった。それに語気が強かった。
「私が嘘言ったってしょうがないべさ」
ユミが金蔵に負けじと大きな声を出した。
金蔵は、声を荒げたのはユミにではなかった。倫子に腹が立ったのだ。
「つい、大きな声出してユミちゃんごめん」金蔵はユミに頭を下げた。
俺も悪だが倫子も相当なものだと思った。倫子の顔が目に浮かんだ。金蔵は、姉の杏子から聞いて知っていた。倫子が強引に杏子の手元から珠子を連れ帰ったことを。
「いいよ謝らなくたって。この界隈じゃ、みんな知ってる話なんだから。ママ、知ってたしょ」
「うん、そんなこと話してたね。お姉さん、親に会いに来るのも一年に一度来るかどうかだって」
金蔵は、何も言わなかった。眼前の壁に貼ってある品書きをじっと見つめていた。倫子は、なかなか悪知恵の働く女だと思った。吉次の生前贈与の時には、夫婦二人して泣きついてきたので力を貸したが、俺も甘かった。これでは、おれが町会議員に出る時には、倫子を頼りにしてよいものかどうか考え物だと思った。
「確かに、家族は、時々見舞いに来るだけだけれどさ、認知症の介護って大変なんだよ。病院じゃヘルパーさんが一番大変だべさ。重労働だもの、体が丈夫でなきゃできない仕事だよ」
ユミは、病院で毎日見て知っている。
「私は、親孝行できなかったよ。してやりたかったけど出来なかったよ。働くのが精一杯でね。私は、親不孝者だよ」ママは、自分の母親を思い出したのかしんみりと話した。
「死んだ母親を思う気持ちがあるなら親不孝にならないべさ」
ユミがそう言って彩のママを慰めた。
「有難う、ユミちゃん」彩のママは、カウンターの上に置いたユミの左手の甲に自分の右手をそっと重ねた。
「介護か・・・。いずれは俺も介護される身になるんだな。その時、ユミちゃん頼むよ」
「頼まれても困るよ。そのころ、私だって歳だべさ。もしかしたら、認知症になってるかもしれないべさ」
皆は笑えなかった。
「最近、いやにテレビや新聞などでさ。これから高齢化がどんどん進んでさ、老人ばかりの社会になるって言ってるけど。どうなるんだろうね。これから。」
彩のママが心配そうな顔で金蔵に訊いた。
「なんでも、10数年後には、人口の半分は65歳以上の年寄になるそうだ」
「そうなったらどうなるのさ。困るよ」
彩のママは、一度手に持ったグラスを口を付けずにカウンターに置いた。
「年寄ばかりだ。みんな杖ついてよ、背中を丸め、ぞろぞろ街中を歩いているさ」
金蔵が冗談半分に言った。
「歩けるなら、まだ、良い方だべさ」ユミが言った。
「大変な時代になるだね。私は歩けるうちに帰るよ」
先代のおかみさんが丸椅子から腰を上げ帰り支度を始めた。先代のおかみさんは今年で66歳になる。息子の徹は、未だ半人前である。慣れるまでと思い息子と一緒に店に出ている。徹には、一通りの事を教えたので、今は、あれこれ指図するほどの事もない。ただ、おかみさんは長年、店に足を運んでくれる馴染み客に笑顔を見せるだけだ。
「居酒屋やスナックで飲む人もいなくなるっしょ」彩のママが困った顔をした。
「そうなるかもしれないな」
「それでなくても今の若い子は、外で飲まなくなったべさ。年寄ばかりになったら歓楽街は、無くなるんじゃないの。これ以上寂しくなるのは嫌だね」
彩のママの眉間に皺が寄っていた。
歓楽街の店のシャッターが暗くなっても開かない。突き出し看板のネオンがあちこちで消えている。街区は、まるで歯抜けの様になっていた。

群れから離れたらその先には死が待っているー(99) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「そうかな、俺は、そう思わないがどう変わった」
倫子は、変わったと心の中で金蔵も思っていた。
「なんだかやけになってるみたい」
ユミにもそのように見えていた。
「何かあったのかな」金蔵は惚けた。
「恐らく、仕事を辞めて寂しくなったんじゃない」
ユミが水割りに口を付けた。
「なんで辞めたのよ」
倫子から病院を辞めた理由を金蔵は直接聞いたことがなかった。
「病院から辞めてくれって言われたの」
「なんでよ」
「良く休むのさ。それもその日になって電話してくるの。病院だって、看護師のスケジュールが立たないっしょ。婦長の苛立っている姿をみると倫ちゃんだと直ぐに分かるの」
「勝手に休むんだ」
彩のママが言った。
ユミが首を伸ばし左に座っているママ越しに金蔵に言った。
「社長、いつも会ってるのに分からなかった」
「そう、そう頻繁に会ってるわけじゃないよ」
「でも、何か感づいていたしょう」
「仕事が嫌になったとは言ってたな」
「そうでしょ」
ユミが納得したのか頷いた。
「うちの店に来ても、そんなところがあったね」
彩のママがユミに言った。
「倫ちゃん、仕事は、どうでもいいって、よく言ってたよ」
「いつからそんな事を言うようになったんだ」
「ご主人が亡くなってからじゃないかな。病院でもそんなこと言ってたもの」
「食えるから言えるんだよ。私なんか年金も何もないから店辞めたらどうやって生活したrらいいか。老後が心細いよ。すでに婆だけどね」彩のママがそう言って笑った。
「社長、だから店に来てよ」
ママは金蔵の右腕をポンと叩いた。
「でも、分かるよな気がする。倫ちゃんの気持ち」
ユミが横に立っている二代目に目をやりながら話した。
「倫ちゃん、悩んでいたもの」
「何を」
「自分が母親の面倒を看なければならないって。仕事はあるし、それにご主人が亡くなったでしょ。恐らく介護疲れのストレスかもしれないね。」
「世間じゃどこにでもある話じゃないか」金蔵が言った。
「本来なら姉が母親の面倒を看なければならないのに、お姉さんは、親の面倒を看ないと言ったらしいの。それで自分が看なければならないことになったって倫ちゃん怒ってたよ」
金蔵は、ママ越にユミを見て
「そんこと本当に言ったのか」
俺も悪だが倫子も相当なものだと思った。倫子の顔が目に浮かんだ。金蔵は、杏子から聞いて知っていた。強引に杏子の手元から珠子を連れ帰ったことを。
「そう、あちこちで話してるらしいから、この界隈じゃ、みんな知ってるじゃないの。ママ、知ってたでしょ」
「うん、そう話していたね。お姉さん、親に会いに来るのも一年に一度来るかどうかだって」
金蔵は、何も言わなかった。
「認知症の介護って大変だよ。本人も大変だろけど介護する身になってごらん。それは大変だから」
ユミは、病院で毎日見て知っている。
「私は、親孝行できなかったよ。してやりたかったけど出来なかったよ。働くのが精一杯でね。私は、親不孝者だね」ママは、自分の母親を思い出したのかしんみりと話した。
「死んでからも母親を思う気持ちがあるなら親不孝じゃないよ」
ユミが彩のママに答えた。
「介護か・・・。いずれは俺も介護される立場になるんだな。その時ユミちゃん頼むよ」
「頼まれても困るよ。そのころは、私だって歳だもの。もしかしたらその頃、私の方が認知症になってるかもしれないよ」
皆は笑えなかった。
「最近、いやにテレビや新聞などでさ。これから高齢化が、どんどん進んで老人ばかりの社会になるって言ってるけど。どうなるんだろうね。これから。」
彩のママが心配そうな顔で金蔵に訊いた。
「なんでも、一〇数年後には、人口の半分は六五歳以上の年寄になるそうだ」
「そうなったらどうなるのさ。困るよ」
彩のママは、一度手に持ったグラスを口を付けずにカウンターに置いた。
「年寄ばかりだ。みんな杖ついて街中を歩いているさ」
「歩けるなら、まだ、良い方だよ」ユミが言った。
「大変な時代になるね。私は歩けるうちに帰るよ」先代のおかみさんが丸椅子から腰を上げ帰り支度を始めた。
「居酒屋やスナックで飲む人もいなくなるっしょ」彩のママが困った顔をした。
「そうなるかもしれないな」
「それでなくても今の若い子は、外で飲まなくなったって言うのにさ。人口の半分が介護を必要になるの」彩のママが信じられないといった顔である。
「ああ、そうだ。誰でも一年一年歳を取って行くんだ。だから国に頑張ってもらわねえと困るんだ。これからは、今の様に病院で死ねなくなるぞ」
「どうしてさ」
「国は、病院から家での介護へ移行する方針を打ち出しているから、でも、なかなか難しいと思うな」
「なぜさ。歳とったら家で死ねるんだよ。こんな幸福なことないだろうさ」
ユミが疑問に思い金蔵に問いかけた。
「在宅医や在宅看護師が増えたとしても、これから少子化で子供のいない独居老人が益々多くなるだろう。家族がいるなら何とかなるが居ない老人はどうなる」
金蔵は、自分の事を重ね合わせて言った。
「そういう人たちどうなるのさ」
彩のママは、タバコの吸う本数が多くなった。消したと思うと一分も経たないうちに次の煙草に火を点けていた。
「先は分からねえが、今の病院がやっていることを民間などがサービス付有料老人ホームとしてどんどん建てて行くんじゃないか」
「民間は、高いしょ」
「結構な料金になるだろうな。経営だから。建設会社など色々な業種の人がこの業界に参入してくるぞ」
「すると金持ちは、入れるが貧乏人は入れないっしょ」
「だから、金を持っていなと駄目なんだ」
金蔵は、倫子の事を思いだした。
「今は、病院で亡くなる人が多いっしょ。この間、86歳のお婆ちゃんが亡くなったよ。その婆ちゃん、入院したてのころは、いつも家に帰りたいって話していたよ。」
「そりゃ、家が一番だ。しかし、今は、8割方が病院や高齢者施設などで亡くなってるそうだ。」
「あたしも家で死にたいね。徹頼むよ」
傍で帰り支度をしていた先代のおかみさんが言った。
徹は、笑っていた。
「大丈夫だ。お袋は、この店で死ぬから」
「ああ、本当だ。爺ちゃんが汗水流して働いたこの場所で死ねるなら本望だよ。病院は、嫌だね」
彩のママが何度も頷いていた。
「なんだか寂しくなるね。こんな話をすると」
彩のママが言った。
「ユミちゃん、今日は、倫ちゃんと約束していなかったのか」
倫子が、店を出てからどこへ行ったのか金蔵は知りたかった。
「私だってたまには自分一人で飲みたいよ。そうじゃないとストレスが溜まる一方だもの」」
「倫ちゃんと飲むとストレスが溜まるんだ」金蔵が言った。
「あの人も前のように少しは私の気持ちを考えてくれるなら良いけど。最近は、そうじゃないの。少しでも気に障るようなことを言うと私に食って掛かるの」
「我儘だな」
「そのうち誰も相手にしてくれなくなるよ」
「年がいくしな」
金蔵は、動物の世界を思いだした。ほとんどの動物は、群れをつくり生活している。しかし、いつかは誰からも相手にされず群れから離れる事になる。群れから離れたらその先には死が待っていることを。

目を細めながら金蔵に訊いたー(98) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

「怖いもの・・・」
おかみさんは、少し考えていたが
「蛇だね。気持ちが悪いし、かまれたら死んじゃうよ」
「蛇か・・・俺も好きじゃねえ」
おかみさんが金蔵の前にニラの卵とじをだした。
「俺は、かみさんだ」
斜向かいに座っていた馴染み客が、口を挟んだ。
「二代目、あんたもそうか」その客がニヤリと笑った。
二代目はただ、笑っていた。
二代目は、仕事が一段落したので手を休め一服していた。手元に置いたビールを少しずつ口に運びながら二人の話を聞いていた。
「男はみんな奥さんが怖いもんだよ。そのほうが家庭円満だ。手綱を緩めると男なんて何をやらかすか分かりゃしないだから」」
おかみさんが客にいった。
「それもそうだ」客は、言われなくて分かるといった顔をした。
「そろそろ帰るか。うちのかみさん、手綱を締めに掛かったようだから」
客が腰を上げた。
馴染み客が店を出て行った。店には金蔵一人になった。時計を見ると11時少し前である。
「店、上手く行ってるのかい」
おかみさんがタバコに火を点け一服吸った。
「俺の店は最初から上手く行ってねえのは分かってるべさ」
「それじゃなんだべ。浮かない顔してさ」
金蔵は、港の光景を思い出していた。油で覆われた海面が重く左右にゆっくりと揺れていた。薄雲から顔を出した月の光が、その油面を照らし出した。さながら大きな太い筆から滴り落ちた墨汁があちらこちらに浮いているかのように見えた。更に目を凝らしてじっと見つめると、辺り一面が海底から水面まで真っ黒なヘドロで埋め尽くされ、異臭を放っているかのように思われた。その光景が金蔵の目に焼き付いていた。
まるで汚いものでも見たように思った。その時、倫子の顔が浮かんだのだ。
「金だ。金は生き物だ。魔物だ。金は使う人間によってきれいな金にもなるし汚ねえ金にもなる。まるでヘドロみてえにだ」
「勿体ないこと言うね。わしは、生まれ変わったら金と一緒になりたいね」
おかみさんは、笑いながらそう言った。金蔵は笑えなかった。
「金も女も怖え。扱い方次第だ。間違えば大変な事になるべさ」
おかみさんの言う通りだと金蔵は思った
金蔵は、寂しげに笑った。
「入ってきた時から、少し変だと思ったよ。何かあったのかい」
そこへ引き戸が開いて二人の女が入ってきた。
スナック彩のママと看護師の塚本ユミの二人であった。
「ママさん、早いじゃない」
「こう景気が悪いんじゃ客も来ないよ。電気代が勿体ないから今夜は早じまい」
二人は、金蔵の横に座った。
「丸金さん、久しぶりだね。たまにうちの店にも寄ってよ」ママが金蔵に言った。
金蔵は、何も言わずに、ただ、頷いた。
「今日は、倫ちゃんと一緒じゃないのかい」ユミが金蔵に訊いた。
「ああ、さっきまで一緒だったが、先に帰ったよ」
「そう、残念ね。病院辞めてから暫く会ってないから顔を見たかった」
「明日は、出番じゃないのか」
「休み。体が持たないよ」
「夜勤は、してるのか」
「私も、歳だね。夜勤をすると疲れが残るの。酒でも飲まなきゃ疲れが取れないよ」
「いつもか」
「まあ、殆どね。家に居ても独りだから寝酒を引っ掻けなきゃ眠れなくなったよ」
「アル中にならねえか」
「まさか、仕事柄そんなに飲めないよ」
ユミが声をだして笑った。二人の前に買い置きの焼酎が出され二代目が水割りを作って置いた。
「それにしても、最近、倫ちゃん少し変わったと思わない」ママが口に咥えたタバコに火を点け一服吸って吐き出した。けぶたいのか目を細めながら金蔵に訊いた。

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