ほおずきが一本残らす無くなっていたー(26) [現代小説ー灯篭花(ほうずき)]

「あそこは幹線道路だぁ、夜は特に危ないよ。この間も事故があったよ。麹町でトンネルを掘削しているんで、あそこから草間方面に向かうトラックが多いから気を付けなきゃ。」
大将は、焼いている焼き鳥の煙が目に入るのか目を細め吉次に言った。
吉次は注がれた酒を一気に飲んだ。その酒が胃の中に流れ込んで行くのがわかった。酒は鎮静剤のような効果を発揮し吉次の心の動揺を沈めた。
「この時間にくるのは珍しいな」
午後の八時を過ぎていた。
「お前こそ、こんな時間まで飲んでいるなんて・・・どうした」
「何でもねぇ」
庄助がそう言ってため息を一つした。庄助はいつもと違い少し荒れているようにみえた。
吉次は、庄助に何かあったと思った。
「喧嘩でもしたか」吉次がそう言うと庄助が首を横に振った。
「何でもねぇ」庄助が目の前の皿に残っていたするめの足を一本つまみそれを口に入れた。
「おめぇ、入れ歯じゃないか」
「食えねえことはねえ」
庄助はぶっきらぼうに言った。いつもの陽気な庄助ではなかった。大将が吉次に向かって首を横に二三度振った。「荒れているから話すな」という合図である。
吉次は手酌で二杯目に口を付けた。
「何か焼くかい」大将が言った。
「ああ、あまり堅くないものがいいな」
「鯖のみそ煮があるが」
「ああ、それでいい」
庄助が焼酎の入ったコップをカンターの上でくるりくるりと少しずつ回転させさせている。だいぶ酔っているようで体が時々左右に揺れる。何か思い詰めているようだ。頭の中もコップのように何かが回転しているようだ。
「俺なぁ・・・いま飛び出してきたんだ」吉次が言った。
庄助が顔を上げた。
「そうか」
「お前も同じだろう」
庄助が頷いた。
「何があった」と二人が同時に言った。
二人は苦笑いをした。
「吉爺がこんな時間に『とんこ』に姿を表すなんては珍しいからなあ」
「そうだあ」
「ダンプに轢かれそうになるなんて・・・どうした」
庄助がカウンターを拳で叩いた。
「大将、水がない。水をくれ・・・」
コップに三分の二ほどの焼酎を入れ大きな声で大将に言った。
庄助の体がさらに左右に揺れ前後にも揺れはじめ今にも椅子から落ちそうになっている。
「庄助、帰ろう」
庄助の額が今にもカンウターにくっつきそうになっている。
「珍しく酔っているなぁ」
「入ってくるなり、焼酎の四合びんを一本出せって、最初の一杯は水で割らすに飲んだよ」
「よっぽど、癪に障ることがあったんだなあ」
庄助がカウンターに伏して寝込んでしまった。
吉次は庄助の横顔をじっと見詰めていた。庄助には一体何があったのか。吉次には、何となく思い当たるところがあった。
庄助は、嫁の憲子とうまく行っていなかった。普段はあまり不平を言わない庄助が今日はその糸が切れたのか。
「何か訳を話したかい」
大将に訊いた。
かみさんが大将の横から顔を出して「馬鹿者って何度も言ってたよ」
「馬鹿者か・・・」
「理由は分からんが・・」
吉次は寝込んでしまった庄助の横顔を見てこいつもいろいろ苦労してるんだとしみじみ思った。
時計が一〇時近くになっていた。吉次の気持ちは既に平静を取り戻していた。
吉次はタクシーを呼んでもらい庄助を家まで届けそれから家に帰った。九月の初旬とはいえ寒さが身にこたえた。
その夜は、なかなか寝付けなかった。布団の中で金蔵の言った言葉を思い出していた。
「80歳になったんだろう。そろそろ遺言書を書き残して置く歳でないかい」
吉次は、俺も80かと思うとなんだか侘びしくなった。80歳は傘寿である。人生での一つの節目だ。これからも元気でいたいがこれまで以上に気力も体力も急速に落ちるのは目に見えている。金蔵の言うとおり物事の分別が分かるうちに身の回りの整理をする必要があると思った。
吉次は金蔵を馬鹿呼ばわりしたことを悔いた。
翌朝、ベランダのカーテンを開けると植えてあったほおずきが一本残らず無くなっていた。

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