葬儀屋に支払う金が足りないー(112) [現代小説ー灯篭花ほおずき)]

電話が鳴った。
杏子は、二階の八畳間を掃除していた。掃除機の音が階下にまで鳴り響いていた。先ほどまで階下の風呂場や居間それに六畳間などの掃除を終えたばかりである。杏子は、最近、歳のせいか重たい掃除機を持って二階に上がるのが億劫になった。夫婦二人である。普段、二階は、ほとんど使わない。正月に息子夫婦が孫を連れて遊びに来て泊まって帰るぐらいである。澄子は、独身である。大晦日から元旦に掛けて一泊してさっさと帰ってしまう。二人の子供が、それぞれ独立して家をでたら、二階は不用なものになった。今では、一階で不要になった物を、一つ、二つと二階に運び上げ今では、まるで物置きのようになっている。処分してもよさそうなものだが、定男がまた必要になる時が来るからといって捨てるなと言われ使いもしない健康器具まで置いてある。更に天気の良い日などは、洗濯物の干し場になっている。
しかし、二階には、二人の子供時代の手垢やそれに匂いが四方の壁、納戸や押し入れなどに染み着いて部屋中に漂っている。二階に上がると小さい頃の二人の子供のことが思い出され心が和む。杏子は、部屋の隅々まで掃除機を掛けながら思い出し笑いをしている。
その楽しみがあるから、杏子は、重い掃除機を持って、月に二度は二階へ上がり掃除機を掛ける。
階下から定男の大きな声がした。
「電話だよ。華林町から。切り替えるぞ」
杏子は、掃除機の電源を切った。親子電話だ。下で切り替えると二階に繋がる。
受話器を取ると倫子からだ。
「香典の上りを計算したら、意外と少ないの。葬儀屋に支払う金が足りないから少し手伝ってよ。50万ほどだけどさ」
50万円と聞いて杏子は驚いた。
「香典は、幾ら集まったの」
「掛かった経費は、香典返しや、坊さんに包んだ金やら、なんだかんだで250万ほどになったべさ」
倫子は、集まった香典の総額は言わなかった。
「葬儀が少し立派過ぎたのよ。家族だけの葬儀で十分じゃなかったの」
華林町は、地方色の強い町である。そのせいか何事にも世間体を気にする。特に、漁師町だから祭りなどの催事は、昔から借金をしてまで盛大に執り行ってきたものだ。
「仕方ないべさ。隣近所や親戚の手前、恥ずかしい葬式などできるわけないっしょ」
「婆ちゃんだって歳だもの、あんな立派な葬儀など望んでいなかったわよ」
「今更、そんなこと言ったってしょうがないべさ」
「それはそうだけど、なぜ私と相談しなかったのさ。言わせてもらうけど、爺ちゃんの時も私に何も相談なく勝手に決めたでしょ」
「なに言っての。喪主に施主は、わしたちだべさ」
杏子は、だからと言って全く相談なくして執り行って良いものかと思った
「兎に角、50万出すの出さないの」
「相談してみるわよ。その前に、葬儀屋の請求書や葬儀に掛かった明細の写しを送って頂戴。それからどうするか決めるから」
「なんで、そんなものあんたに送らなきゃならないのさ。50万足りないって言ってるべさ。わしが信用できないのかい」
「そうわ言ってないけど、主人に見せなければならないでしょ」
倫子が一方的に電話を切った。
倫子は、いつも自分に分が悪くなるとこのような電話の切り方をする。
葬儀屋等の明細書を送るとも何とも倫子は言わなかった。
杏子が二階から降りてきた。
「葬儀代を50万円出せっていうの」
テレビを見ていた定男が杏子を見てニヤリと笑った。
「いつもの手だな」
定男は、倫子のやりそうなことだと思った。
「本当に50万足りないのかどうか分かったものじゃないぞ」
杏子もそう思った。
「だから葬儀に掛かった明細書の写しを送って頂戴と言ったら、ガチャンだって」
「また、一方的に電話を切ったのか・・・ほっとけよ」
定男が、無視すれと言っている。杏子も考えたが、話していることが事実なら明細書の写しが送られてくるだろうと思った。

倫子は、電話を切った後、額に皺を寄せながら「馬鹿にして。足りないから足りないって言ってるだろ」と大きな声をだした。
叔母が、二階から降りてきた。
「何かあったのかい」
「杏子さ」
叔母は、理由を訊こうと思ったが、余計なことには、口出しをしないことだと思った。
「ああ、そうかい。わしは、また、誰か来てその人と喧嘩でもしているのかと思ったよ」
叔母が仏壇に目をやった。線香も蝋燭にも火が灯っていなかった。
和夫は、昨夜、午前様で帰って来た。二階で未だ寝ていた。
「和夫は、遅かったのかい」
「朝方に帰って来たようだよ」
「今日、帰れるのかね」
「もう少し寝かせて置くから。帰りの運転、危ないべさ。何だったらもう一晩泊まって行ったらどうだべ」
「和夫は仕事があるんじゃないかい」
「起きたら聴いてみるべし」
倫子は、昨夜、和夫が、金蔵と何を話したのか気になった。
叔母が洗面所に立った。
その後、仏間に行き水の入った湯呑を盆に上げて台所へ来た。煎茶を探したが見つからない。うろうろしていると倫子が
「叔母さん、わしがするから座ってなよ」倫子がお六膳の用意をした。

和夫が、昼近くになって二階から腹を摩りながら下りてきた。具合いが悪そうだ。
「胃の薬、ないべか」
倫子は、薬箱から売薬の胃腸薬を一包取り出し和夫に投げた。和夫が足元に落ちた胃腸薬を拾い台所へ行った。
「相当、具合が悪そうだね」叔母が台所の方を見ながら言った。

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