溝鼠ー⑫吐き捨てるように [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

雪は、依然として降り続いていた。今朝方、家を出るとき、杏子が雪撥ねをしてくれたので玄関先が綺麗になっていた。だが、夕方、帰ってみると玄関先には20センチほどの雪が積もっていた。定男は、雪掻き用シャベルで雪を撥ねた。体調を崩してからの初めての雪掻きだ。十数年ぶりになる。
猫の額ほどの庭にアジサイやツヅの木などが植えてある。冬が近づくと、冬囲いや雪撥ねが定男の仕事であった。しかし、今では、これができない。久しぶりにシャベルを握り腰に力を入れた。ものの数分もしないうちに息切れがし腰が痛みだした。それを押して雪撥ねを終えチャイムを押すと杏子が玄関のカギを開けてくれた。ドアを開けると杏子の顔が目の前にあった。
「久仁子さんから電話があったわよ」そういいながら玄関先が綺麗になっているのを見て
「雪撥ねをしたの」
杏子は、驚いたのか目を大きく見開いた。
「ああ・・・」
「私が後からするのに」
杏子は、定男の体についた雪を手で払った。
「久仁子、何か言ってたか」
「明後日、こっちに来るって」
「そうか」
定男は、手を腰に当て痛むのかしきりに擦っている。
「まだ、無理よ」
無理を承知で雪撥ねをしてみた。体力が完全に落ちている。
「真似事だ」
定男は、これから自分が母を看なければならないと思った。それで体力があるかどうか試してみたかった。

久仁子は、定男の妹である。6歳違いで68歳である。定男の住んでいる町から列車で3時間ほどの観見町に住んでいた。子供が二人いて既に成人している。
定男は、杏子にそれ以上のことは訊かなかった。
翌朝も定男は、早めに病院へ向かった。
雪は、降り止んだ。その上に陽光が当たり一面を銀色に染め、その反射する光で定男は目が眩しかった。
病室を覗くと道男夫婦がいた。定男が部屋に入ろうとすると入り口で止められた。談話室へ連れて行かれいつもの場所に座った。
「昨日の話だが、住職は、東京へ出かけているそうだ。それで行った先に連絡を取ったら直ぐに帰ってくるって」
定男は、道男の話を半信半疑で聴いていた。
「昨日、お袋と話をしたよ。坊さんを呼ぶほどのことでもないだろう」
道男の眼の色が変わった。うろたえた眼であった。
「医者は、何って言っているんだ」
「昨日の話では、術後で高齢だからいつ逝くかわからないと言ったぞ」
「あんたが帰った後で看護師に聞いたら、心配ないと言われたよ」
道男と勝子が互いに顔を見合わせた。
「峠を越したのか」道男は、窓に目を移し何か考えているようだ。
定男は、思った。この男は、一体何を考えているのか。定男は、道男の顔をしげしげと見た。
「俺の見たところでは、今日や明日に亡くなる状態ではないぞ」
そう定男が話すと突然いきり立ち
「お前、医者でもないのにそんなこと分かるわけねえだろう」と吐き捨てるようにいった。
談話室に道男の声が響き渡った。テレビを見ていた患者が一斉に定男たちのほうへ顔を向けた。
定男は、それには答えなかった。
道男は、そう言って直ぐに談話室を出て行った。残った勝子が出てゆく道男の背に向かって大きな声でいった。
「あんた、どこへ行くのさ」と言いながら道男の後を追った。
母のことを心配してのことである。兄弟だ。普通に話し合えあないものかと思った。それにしてもなぜ道男はあのような態度をとるのか不思議でならなかった。

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