溝鼠ー219 お父さんの声に [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

光子の夫は、旅行会社に勤めている。これまでに道内の4支店を転勤している。女の子が一人いて既に社会人になっている。
光子は、4人姉妹の長女で道子と二歳違いである。
午前10時ごろ主治医が看護師を一人連れて回診で来た。
ベッドの傍へ行き道男に声を掛けた。
「小林さん」
そういって道男の肩に軽く手を置き小さく揺すった。
道男が目を開けた。
「大丈夫だよ・・・心配ないから」
そういって道男に笑顔を見せた。
道男がじっと主治医の顔を見ている。
「諏訪先生だよ。昨日、診てくれた」
勝子が大きな声でいった。
道男が主治医の顔をじっと見ている。
(諏訪先生)
勝子の言葉が、単なる音として耳に入ってくる。
(諏訪・・・)
何のことかわからない。
しかし、頭の隅のほうで、一瞬、聞いたことのある音だと感じたが、瞬時に消えた。
「やはり、話すことは、無理なんでしょうか」勝子が訊いた。
「リハビリーの先生を紹介しますんで、安心してください」
主治医の話す言葉―音質が道男の声に似ている。
勝子が諏訪の顔をじっと見詰めている。
主治医は、道男の顔色をみている。
道男も目を大きく見開き食い入るように諏訪の顔を見詰めている。
「お母さん・・・」
道子が傍からトンと突っついた。勝子がハッと気が付き
「ああ、・・・はい」と慌てて答えた。
「また、あとから来てみます」
主治医が部屋から出て行った。
「他人の空似かしら・・・」
道子がいった。
「何が・・・」
勝子が目を輝かせ「あんたも」といった顔で道子を見た。
「先生の声、どこかで聞いたことない」
「あんたもそう思う」
道子が頷きながら
「お父さんの声に似ていない」
道子も興奮している。目を大きく見開き鼻の穴を大きく広げている。
「そうでしょ。私もそう思った」
「しかし、そんなことないよね」
道子が廊下に出て行った主治医の後姿を見ている。
「先生の後ろ姿、見て」
道子が早口でいった。
勝子が廊下へ出た。
医者は廊下を曲がったところだった。

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