現代小説ー灯篭花(ほおずき) ブログトップ
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溝鼠-232節制しなさい」 [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

部屋に戻ると、勝子が右腕を枕に顔をベッドに埋めるようにして眠っている。
道子が勝子の顔を覗き込むようにして揺り起こし、そして声をかけた。
「お母さん・・・」
勝子が顔を上げた。
「あら、嫌だ。お父さんの顔をみてたら、知らぬ間に眠ったんだね」
そういって勝子が照れ隠しに含み笑いをしながら道男を見て、
「お父さん、気持ちよさそうに眠ってるね」といって、道男のそばに近寄り頭をそっと撫でた。
「そのままにしておいたら」
光子が傍で言った。
「今日は、雨が降ってるせいか、どこの部屋の患者さんもベッドに潜り込んで、気持ち良さそうに眠ってるね」
道子がいった。
光子が部屋の中を見渡して道子の耳元で囁いた。
「みんな体が動かないだろうか」
道子も部屋の中を見渡した。
道男と同じ年代と思われる人、それに中年の人。50歳に届いたかどうかの痩せぎすの人、この人は、先ほどリハビリから戻ってきた来たところを見た。
部屋をざっと見渡して4人のうちどの人が動けるのかわからない。
光子が道男の頭に手を置きながら
「お父さん、酒は、少し節制しなさい」
「もう、酒は飲めないでしょ」
「お父さんのことだから、元気になったらまた飲むでしょ」
光子が、皮肉っぽく笑った。
「お父さん、私、明日帰るからね。先生方やお母さんの言うことを聞いて頑張ってね」
それを聞いた勝子がきょとんとした顔をしながら
「明日帰るの・・・来たばかりじゃないのさ」
残念そうに言った。
「孫の和恵ちゃんの面倒を見なきゃならないんだって」
道子が傍でいった。
「和恵が風邪を引いてるので」
「来たばかりなのに・・・、もう少しゆっくりして行ったらどなのさ」
「爺ちゃん一人で孫の面倒は見切れないしょ。それに私もなんだかんだと忙しいの」
勝子が少し不満そうな面持ちである。
「忙しいのは、お互い様よ」道子がいった。
「そうだね。みんなそれぞれ家庭を持っているからね」
勝子が止むを得ないといった顔で頷きながらいった。

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溝鼠ー231相続する権利 [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

「お父さんは、後期高齢者だし、それに介護保険にも入っているし、そんなに掛からないと思うよ」
光子が、首をぐるりと回し少し前屈みになりながら
「ところでさ、お父さん、幾らぐらい持ってるんだろうね」
光子の上体が目の前に迫ってきた。道子が自分の体を少し後ろに引いた。
光子の口角がほんの少し上がり目も笑っているようだ。
「幾らぐらいって・・・」
「これ・・・」
光子が右の手で人差し指と親指で丸を描いた。
「お金・・・」
道子が小首をかしげた。
「結構、持ってるじゃない。婆ちゃんが持っていたのは、今の家と土地にさ、それに処分した一野区菊町の土地と家屋でしょ、それらを合わせると、相当な額になるんじゃない」
「私は、そんなこと訊いたこともないし、分からないよ」
「お父さんのことだから、婆ちゃんが老健に入る前に全部自分の物にしたんじゃないの」
「知らない」
「お父さんが、死んだらお母さんに二分の一、残った分を椰季子と佳代子、それに私とあんたの四人で分けることになるんでしょ」
「お父さん、未だ生きてるしょ。それに、お母さんだって元気でしょ」
「それに、もしもだよ、諏訪先生が、お父さんの息子なら、相続する権利があるんじゃない」
「そんなこと、姉さんは考えていたの」
道子が、目を丸くしている。
「ふと思っただけ。よくテレビでさ、サスペンスドラマなどで財産争いで、人を殺すなってのやってるでしょ。観たことない」
光子が、道子の顔を下から覗き込むようにしていった。
それから、ぱっと立ち上がると
「さあ、お父さんの顔を見に行こう」
そういうとさっさと部屋を出て行った。道子も慌てて光子の後を追った。

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溝鼠ー230寝たきりだね [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

外は、依然として土砂降りの雨が続いている。
「今日は、もう、回診の時間が終わったから、諏訪先生に会えないよ」
そう道子がいうと
「いいよ。会えなくたって」
光子が、そっけない態度でいった。
「どうして・・・、一度会ってごらん。兎に角、背格好や仕草がお父さんにそっくりなんだから」
「この世には、自分に似た人が3人いるっていうでしょ。だから、お父さんに似た人がいても何も可笑しくないでしょ。」
「そういつたらお仕舞いでしょ」
「私は、明日、帰るから」
「どうして」
「幸恵の子供をお父さんに預けて出てきたんだけど、風邪を引いていてね。それで心配なの」
「幸ちゃんも大変だね。子供がいるから・・・」
幸ちゃんとは、光子の長女幸恵のことである。今年25歳になる。22歳で結婚したが、結婚した相手が、酒癖が悪く3年で離縁した。3歳になる和恵という女の子が一人いる。
「子供の面倒を看てやらなきゃ、幸恵が可哀想でね」
「再婚しないの・・・」
「今は、考えていないらしいよ」
「本当に帰るの・・・」
「もう一度、お父さんの顔を見てから帰るよ。何かとあんたに世話を掛けるかもしれないけど頼むね」
「それはいいけど、来てすぐに帰るんだもの・・」
「明日帰るよ。列車の指定席も取ってあるしさ」
「そうなの。残念だね」
雨や風が止む気配がない。街路樹のナナカマドの枝が、風に煽られて今にも折れそうだ。
「お父さん、良くなるといいんだけどね」
道子が、心配そうな顔でいった。
「この病気は、本人のやる気でしょ」
「・・・」
「リハビリ、続けられるかどうかで決まるんでしょ」
部屋の中は、何となく仄暗く、窓に打ち付ける雨の音と、それに部屋を閉め切っているせいか蒸し暑く、息苦しく感じられた。
光子がバックからハンカチを取り出し首から胸にかけて吹き出た汗を拭い取っている。
「出来るだろうか・・・」
道子が訊いた。
「あくまでも、本人次第だよ。やらなきゃ・・・」
光子が拭き終わったハンカチを四つ折りに畳みながらいった。
「やらなきゃ、寝たきりだね」
道子がいった。
二人が顔を見合わせた。
「そうなったら、お母さん大変だよ」
道子が心配そうにいった。

二人の間に少しの間沈黙があった後光子がいった。
「ここの病院代幾ら掛かるの」

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溝鼠ー229失敗したと [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

道子が光子の袖を引いた。
「談話室へ行こう」
道子が小さな声でいってから意味ありげに含み笑いをした。
それを横で見ていた勝子が光子にいった。
「少し休んでおいで。あんたは、今朝、夜行列車で着いたばかりなんだから」
光子は、うっかり朱美と口に出してしまい心の中で後悔していた。
「そうだね。そうしようか。お父さん、少し休んでくるから」
そう道男にいって、二人は、部屋を出て先ほどの談話室へ行った。
相変わらず激しく降る雨が、風に乗り窓にあたり大きな音を立てている。
「止まないね。この雨。姉さん釧路から持ってきたんじゃないの」
道子が光子の方をみていった。
「そうかもしれない。釧路も降ってたから」
光子が窓から見える大降りの雨を見ながらいった。
二人は、丸いテーブルを囲んで座った」
「あんた、さっき含み笑いをしてたでしょ」
光子が、訊いた。
「だって、可笑しいだもん。朱美さんといった後に、突然、私が渉といって話を変えたでしょ。それでも、何となく話が繋がったから」
「ああ、私もあの時、失敗したと思ったの。朱美さんって、お父さん、聴こえた筈だよね」
「聴こえたと思う。姉さんの声は、大きいから」
「まあいいわ、本人は、話せないんだから」
道子が、上目でちらりと光子の顔を見た。
「もう、この話は、終わり」
光子が、後悔しているのが分かる。

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溝鼠-228目配せをしながら [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

道男の後を追うようにして3人は病室に入った。
部屋に入ると、白い上下のユニホームを着た30前と思われる男性が、道男を抱えてベッドに寝かせようとしていた。胸の名札には、理学療法士と書いてある。
3人は、ベッドを取り囲むようにして立っていた。
道子が理学療法士が出て行った後に道男に声を掛けた。
「お父さん・・・」
道子には、いつもと何ら変わりのない道男に見えたが、目が、死んだサカナのように見えた。
「元気じゃない・・・」
光子がいった。
「「お父さん。分かる。光子、ご無沙汰してたね」
道男が光子の顔をじっと見ている。
「分からないのだろうか・・・」
光子が道男に顔を近づけた。
「お父さん、光子だよ。分かるよね」
勝子が声を掛けた。
道男が小さく頷いた。
「なんだ、分かるんでしょ」
光子が頓狂な声を上げた。
「そりゃ、分かるよ。馬鹿じゃないんだから」
勝子が道男の頭を撫でながらいった」
道子がクスッと笑った。
光子が、道男の体に掛かっている掛布を直した。
「お父さん、リハビリーどう。続けていけるかい」
光子が訊いた。
「続けないと話せないしょ。ねえ~」
勝子が、そういって道男の顔を見てほほ笑んだ。
道男は、黙っている。
「お父さん、朱美さんに男の子がいたよね」
光子が突然いった。
道子が慌てて
「お姉ちゃんの子供で渉っていたでしょ。その渉がね。社会人になったんだって」
光子がきょとんとした顔をしている。
勝子が光子に目配をしながら道男にいった。
「そうなの。渉が鉄工所に入ったんだって」
「工業大を卒業して地元の草木鉄工所へ入ったの」
光子が、微笑みながら道男にいった。
渉は、30歳になり草木鉄工所の課長に昇進している。
道男が黙って二人の話を聞いている。理解しているのかどうか分からない。
じっと天井を見上げている。

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溝鼠ー227荒れるね [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

二階でエレベーターを降りてナースステーションに寄ると、道男がリハビリに出かけていた。3人は、病室に入らず待合室で待つことにした。
外は先ほどより雨脚が強まったようだ。それに、時々、強く吹く風が、窓ガラスに雨を打ち付けている。
「この天気じゃ。今日一日、荒れるね」
光子が、窓から見える殻沼山を見ながらいった。標高600メートルほどの山で昔から霊山として知られている。中腹に寺院があり、格好の登山コースとしても知られている。
光子が目を細め感慨深そうな顔をしてじっと山の頂を見詰めている。若い頃、何度も、夫の康夫と一緒に登った山である。
「殻沼山には、今でも登っている人が居るんだろうね」
「6月の中旬になると山開きがあるしょ。その時期になると、全国から沢山の人が集まるらしいよ」
道子が、窓際に来て光子にいった。
「変わっただろうね。あれから40年近くになるから」
「ロープウエイーができたの知ってる」
「そうなの、私たちの頃は、道幅も狭く山に登るのが大変だったのにね。出来たんだ」
光子が山を見ながら、今にも、雨で掻き消されそうな山の頂に目を遣っている。
二人は無言で殻沼山の景色を眺めていた。
暫くして、光子が振り返り、思い出したかのか
「そういえば、婆ちゃん、どうしてるの」
と勝子に訊いた。
「どうって、特養に入ってるよ」
「元気なの」
「まあ、まあじゃないのかい」
「誰か行ってるの」
「お父さんが、今まで、月に1回は、婆ちゃんと所へ行ってたけど、こうなったら、もう、なかなか行けないしょ」
「あんた、折角来たんだから、会って帰ったら」
道子が、いった。
「分かるの・・・」
「分かるっしょ。孫だもの」
「時間があったらね」
道男が、エレベータから車いすに乗って下りて来る姿が道子の目に入った。
「戻って来たよ」
道子が、二人を奮起させるような声で力を込めていった。
勝子が、テーブルに手を突き椅子から立ち上がりながら、先ほど車の中で光子がいった言葉を思い出した。
(お父さんの子)
(本当だったらどうしようか。いや、そんな馬鹿なことあるわけない)
勝子は、そうゆう思いを否定しながら椅子から立ち上がった。

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溝鼠-226朱美の顔が [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

「でもさ、諏訪さんって、世の中に沢山いるしょ。あの諏訪さんとは限らないっしょ」
諏訪という名前を聞くたびに勝子は、朱美の顔が目に浮かんだ。
「ねえ、その朱美さんに子供がいたの・・・」
道子が、そういいながら勝子を左の肘で押しのけ右の腕でを伸ばして光子の腕を揺すった。
勝子が二人の間に挟まり大きな体を小さくしている。
光子が勝子の顔を見ながら
「お母さん、知ってたでしょ。朱美さに子供がいたこと・・・」
「しらないよ。誰の子さ」
あの時、慰謝料を払って子供は、おろすことにした筈だ。道男の子供である筈がない。
「お父さんの子」
その言葉を聞きたくなかった。光子の言葉が勝子の胸にぐさりと刺さった。
「おろしたんじゃないの」
そういうのが精一杯だった。
「産んだんだって」
光子が、事も無げにいった。
「へー、それじゃ、お父さんの子供なんだ・・・」
道子が突拍子もない声を上げた。
タクシーがブレーキを掛けたのか3人が、少し前のめりになった。
「そのこと、あんたは知ってたの」
勝子が、フロントガラスから見える景色に目を遣ったままだ。
「相当前だよ。私が20歳ころかな。邦子さんがそう言ってたのを聞いたことあるの」
「姉さんだけが知ってたんだ」
道子が、ぼそりといった。
「二人とも知らなかったんだ。お父さん、何も言ってなかった」
「お父さんは、そのこと知ってるの」
勝子が光子の顔を見ながらいった。
「どうだろうか・・・」
光子が時々外の景色に目を遣っている。
「あんた、そのこと、お父さんにいわなかったの」
「いう訳ないじゃない。そんな余計なこと」
勝子は、普段の道男を見ていて、恐らく知らなかっただろうと思った。
「もし、お父さんの子なら、私たちと兄弟になるんだ」
そういって、光子が首を傾げた。
道子が、呆然自失でいる。
「ゴホン」とタクシーの運転手が咳払いをした。
「お父さん、どんな顔してる・・・」
光子が勝子に訊いた。
「まだ知らないしょ」
「でもさ、他人のそら似ってあるから、未だ分からないよ」
光子がいった。
車は、順調に走り病院へ到着した。

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溝鼠ー225記憶を呼び戻して [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

「まさか・・・」
光子が、口をへの字に曲げ信じられないといった様子だ。
「本当なの。信じて。お父さんにそっくりなの。私も驚いちゃった」
道子が真剣な眼差しで光子に話しかけている。
光子が疑うような目で勝子の顔を覗き込んだ。
勝子が、道子の顔をチラリとみて光子を見た。
「お母さんまで道子に感化されちゃって・・・」
光子が、笑いを押したような声でいった。
「本当なの。似てるよ・・・。会ったらビックリするよ」
光子が、それでも未だ信じられないといった様子だ。
サイドウインドから外を見ると、空が黒い雲に覆われ今にも雨が降ってきたようだ。
赤信号で止まっていた車が動きだした。雨が降って来た。往来している人々が駆け出した。
道子が天気予報が当たったと思った。サイドウインドが雨でぬれ始めた。
「ああ、降って来たね」光子がいった。
雨は、瞬く間に土砂降りになった。
車内は、一瞬静まり返った。少しの沈黙の後、道子が光子に訊いた。
「姉さん、諏訪さんって知らない」
外を眺めていた光子が道子の方を見ながら
「諏訪さんって・・・、もしかしら、あの諏訪さんのこと」
光子の顔をじっと見詰めていた勝子が、
「そう、あの諏訪さん」といった。
「知ってるの・・・」道子が身を乗り出した。
「知ってるったって、直接は知らないけどさ。あの人の妹は、知ってるよ」
「妹さんを知ってるの」
道子の目の色が変わった。
「うん、邦子さんね。高校時代の先輩なの」
「道信さん知ってる・・・」
タクシーの後部座席に3人だ。道子が右端に小さくなって座っている。
勝子も光子も体は、ビール樽並みだ。
「道信さん・・・知らない。その人がどうしたの」
光子が訊き返した。
「主治医の名前が諏訪道信っていうの」
道子がいった。
光子が首を傾げながら
「姉妹は、確か朱美さんと邦子さんの二人だけなはずだよ」
「男はいないの・・・」
「いないと思う・・・」
道子は、心の中で、光子に諏訪道信についての記憶を呼び戻して欲しいと願った。
「あっ、もしかしたら、朱美さんの子供だろうか」
光子がいった。


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溝鼠ー224 まるで合わせ鏡のよう [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

勝子が寝室にへ入って行くのを見て光子がその後を追った。
それから間もなくして、ギシギシと何か擦れる音が聞こえた。恐らくタンスの抽斗の音だろう。道子がその音を聞きながら居間でテレビを観ていた。
暫くしてから二人が部屋から出てきた。光子の上下着ているものが変わっていた。
「全部変えちゃったの。どう」
勝子が普段着ているカーキ色のセーターと紺のジーパンを履いている。
「少し太めだけどね。いいでしょ」
光子がくるりと回って見せた。
道子がその姿を見て
「体形が同じだから、後ろ姿なんか、お母さん、そっくり。間違いそう」
光子があまりにも勝子に似ているので道子は苦笑いをした。
「親に似ぬ子は鬼子っていうでしょ」
そういって、光子があんただってそうだといった目つきで道子を見た。
道子は、どちらかというと少し細めで、四人姉妹の中で一番道男に似ている。佳代子は、勝子の若い頃にそっくりである。
「まるで合わせ鏡のよう」
道子がいたく感心したような顔で小さく頷いた。
光子が左手に汗でよれよれになった下着をぶら下げている。
「それ、洗濯機の中へ入れといて」
勝子にいわれて光子が風呂場へ行った。
風呂場の近くに古めかしい洗濯機が置いてあった。その洗濯機の蓋を開け下着をその中へ放り込んだ。
「随分、年代ものの洗濯機を使ってるね」
この洗濯機は、確か光子が成人式の時に買った物だ。それを未だに使っている。
「まだ、動くもんだからさ、それで使ってるの」
「物持ちがいいんだ」
「それよりも、早く病院へ行かなきゃ。お父さん首を長くして待ってるじゃない」
ベランダから外を眺めていた道子が振り向き様に二人にいった。
三人は、そそくさと身支度を整え外へ出て国道まで歩き車を拾って病院へ向かった。
車の中で道子がいった。
「そうそう、主治医がね。お父さんの声にそっくりなの。驚いちゃった」
「声ぐらい似た人、世の中に沢山いるだろうさ」
「それだけじゃないの。背格好も後ろ姿もそっくりなの」
光子がニヤニヤ笑いながら、そんな馬鹿な事があるわけないといった顔をしている。
「これから、その先生に会えるよ。きっと驚くから」
「お母さん、そうなの」
勝子が、首を大きく縦に振った。

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溝鼠-223脇の下がなんとなく [現代小説ー灯篭花(ほおずき)]

勝子が二人の顔を交互に見ながら、何か納得がいかない顔をしている。光子が勝子の顔をチラリとみて
「お父さんのところへ行くんでしょ。さあ、さあ、支度して」と二人を急き立てた。
光子が椅子から立ち上がり、左脇の下に手を当て、今度は胸元から手を入れ左脇の下を触っている。
先ほどから脇の下が何となく気になっていた。思った通り、汗で下着がぐっしょりと濡れている。
寝台車の中は、蒸し暑かった。寝台券を駅の発売所で買うとき下段を申し込んだが、生憎下段も、中断も売り切れて上段しか残っていなかった。
下段からむっとするような熱い空気が上がって来る。
列車が動き出すと下段の方から紙袋やポリ袋を割く音がした。
間もなく、日本酒の匂いと一緒に裂きイカか、ししゃも燻製のような臭が漂ってきた。
さきほど、光子が上段へ上がるとき、寝台車のカーテンが少し空いていて、そこから、頭の禿げた50絡みの男の姿が見えた。
下段で一時間ほどガサゴソと音がしていたが、そのうち、高鼾が聞こえてきた。
一晩中、その異臭と蒸し暑さに、それに高鼾に悩まされながら揺れる寝台車の中で夜を明かした。
それでも、明け方近くになって、その異臭にも高鼾にも慣れたのか、知らぬ間に眠ってしまった。
目を覚ましたら明るくなっていた。額に汗がにじみ体全体がむず痒かった。
ホームに降り立ち、思い切りすがすがしい朝の空気を吸い込んだとき、なぜか生き返ったような気持ちになった。

「お母さん、下着を貸して頂だい。脇の下がびっしょり濡れているの」
「あんたに、合うような下着があるかな・・・」
勝子が光子の首から下を眺めている。
「なんでもいいの、着たらわかるしょ」
「お母さんと同じ体形でしょ。お母さん、何か出してあげなさい」
道子が傍でいった。


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